Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

ていねいな暮らしをデザインする

完璧じゃないほうが、安心する

2026.08.23 03:04

これは数年前の川崎の多摩川河川敷から撮った写真



雲は一つとして同じものはないし、

それは再現不可能


もう二度と出会えないからこそ

その瞬間を残したいと思い、

カメラ(映写機や写真機)は

生まれたのだと思う


いまや、スマホ一つでいつでも

当たり前にその瞬間を切り取れる時代


「今」というかけがえのない瞬間を

肉眼でみることを差し置いて

残しておきたいと思う大切な瞬間って

そんなにあるのだろうか・・・




最近、AIでつくられた写真や動画を見ていて、

「きれいだな」と思うのに、

なぜか心が動かない。


ときには、少し怖ささえ感じる。

そんなことはありませんか?


光もきれい。

構図も完璧。

人の表情も自然。

なのに、どこか違う。

私は、その違和感のひとつに「揺らぎ」があるのではないかと思っています。

人がつくったものには、少しの歪みや、迷い、偶然があります。

少し不揃いな器。

震える声。

ぶれた写真。

そこには、「誰かが、ここにいた」という気配がある。

自然もそうです。

木の枝は左右対称ではない。

葉っぱも一枚一枚違う。

風も、毎日少しずつ違う。


完璧ではないからこそ、私たちはそこに生命を感じるのかもしれません。


でも、面白いことに私たちは自然の揺らぎには安心するのに、自分自身の揺らぎは怖がります。


身体が変わる。

老いていく。

病気になる。

気持ちが変わる。


「変わらないでほしい」と思ってしまう。

でも、変わらないものは、生きていない。

変わるからこそ、生命なんですよね。


だから私は、「整える」ということを、「揺らがない自分になること」だとは思っていません。


今日は疲れている。

今は少し敏感になっている。

季節が変わって、身体の感じも変わってきた。


そんな小さな変化に気づいて、「今の私は、どうなっている?」と、自分に聞いてあげること。

そして、そのときの自分に合わせて、食べるものや休み方、過ごし方を選び直す。


それもまた、「整える」ということだと思っています。



AIが、正解らしい答えをいくらでも出せる時代。

だからこそ、「私は、今どう感じている?」という問いが、これからますます大切になるのかもしれません。


完璧じゃなくていい。

少しアンバランスでもいい。

揺らいでもいい。

変わってもいい。


その揺らぎの中に、「私が生きてきた時間」があるから。


だから私は、アーユルヴェーダを「自分を完璧に整える方法」として伝えたくありません。

揺らぎをなくすのではなく、揺らいでいる自分に気づき、その時々の自分に合うように、暮らしを選び直していく。


そのための智慧として、アーユルヴェーダを伝えたい。


誰かの正解に自分を合わせるのではなく、自分の感覚を、もう一度信じる。

それが、私にとっての「日本人のためのアーユルヴェーダ」です。



AIがどれだけ完璧になっても、私は、人間の不器用さを大切にしたい。

迷うことも。

揺らぐことも。

変わっていくことも。

それも含めて、私たちは生きているから。


「私は、今、どう感じている?」

その小さな問いから、もう一度、自分のところへ帰ってくる。


そんなアーユルヴェーダを、私は日本の季節や風土の中で伝えていきたいと思っています。