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高橋キノエネのーと

20260823所感

2026.08.23 12:12

床に垂れ落ちたローションをティッシュで拭き取ることに虚しさを感じることが悪なのか。

そもそも良し悪しで物事を判断することが良いのかどうかという疑念を持ってしまった瞬間、それは自分事としての感覚から離脱して、世間だの社会だの、普段なら自分が忌み嫌う存在を会得してしまうが如く、とんでもなくつまらない思考へと回帰してしまっている自分に気づいてしまい、どうしようもなく嫌悪感に満たされてしまう。

そうして、瞬時に思考を全停止させ、相反する電子負荷を我が精神に高出力で与えせしめ、空虚な時間を浪費するのである。

私は常に自分自身に言い聞かせる。他人と比べることに何の意義を見出せようか。他者よりも劣る自分のあらゆる事柄を、敢えて自分自身の中で列挙して劣等感を強化することで得られるものとは何なのか。

意義なんて皆無だ。得られるものなんて皆無だ。

強いて言えば、強がる自分を誇示することでコンテンツ消費物へと自身を昇華させるぐらいなものだろうか。ははん。思わず鼻で笑ってしまった。なにが昇華だ、偉そうに。ただの言い訳の間違いであろうが、と。


などという思考の堂々巡りに慣れてしまった果てに、もはや虚しさとはなんであったのか、それすらも忘れてしまうぐらいに私は終ぞ至るところまで来てしまったという感覚に羞恥すら覚えない濃度にまで達してしまったという自覚があって、こうして駄文を叩いているのである。

精神分析学者であり社会心理学者である加藤諦三先生の著書を読んだことがある。

よれば、劣等感の本質は個人の能力ではなく、幼少期の愛着不足、所属感の欠如、他者からの評価に基づく生き方などにあるという。心から信頼できる者がいない孤独感は生きづらさや過剰な防衛、他者への嫉妬、無理や我慢の慢性化など行動に現れ、自分い自信を無くし、幸せから遠ざかっていくそうだ。

それに照らし合わせれば、どことなく一致している点はあるように思う。

愛着不足であると感じたことはないが、9つ離れた双子の妹が中心の家族生活は少なからず自分の精神構造に影響を及ぼしていただろうし、友達が多くは無かった学生時代を過ごしてきたし、他人からの視線に恐怖しながら生きていた気がする。

心の底から自分を曝け出せる親友はひとりふたりしかいないし、自分の中に閉じこもって生きているほうが楽だし、恋愛なんて一度もしたことないし、それなのに他者と自分を比較して劣っている自分が本当に嫌になるし、それなのに何も行動に起こすこともできず、やりたいことに対して素直になれず、結局なにもできずに終わってしまう。

あぁそうか、そうだったんだ。やはりこのモヤモヤの本質は劣等感だったんだ。

唐突にPCに向かって無性に文字が打ちたくなって、何も考えずに昨夜あったことを打ち始めたら、こんな自己分析にまでたどり着いてしまったけれども、そうか、この息苦しさは、やっぱり劣等感だったんだ。


自分から飛び込んで、結果として返り討ちにあった結末になっているのだが、先日ふたりの人妻同人声優からドMキャラとして散々な言われ方をされた。もちろんこれは私ではなくハンドルネームが生み出した虚構の人物が人妻同人声優になじられて喜んでいる、というコンテンツ消費が生み出した現象の一つであるとして処分できる事柄なのであり、二人に落ち度はなく、むしろ百点満点のコンテンツ製作であったことは言うまでもない。

だが、ハンドルネームの中の人は、これを一過的な出来事として認知しておらず、押し留めていた劣等感が暴発してしまいそうになるのを堪えているところまで来てしまった。訳が分からなくなってしまった。

惨めだね、という単語が私の触れてはいけない精神にクリティカルヒットしてしまったのだ。惨めだねと言われて嬉しいわけがない。ハンドルネームを演じることにも限度というものがある。

悔しいね。まぁ、まともに生きてこなかったからこそ、二人のどえろい人妻同人声優で出逢えたのだから、嫌なことだなんて思っていない。それでもやっぱり悔しい。

だからといって、自分が誰かと結婚して幸せな生活を送っていることを思い描けるかと言えば、これは完全に否定したっていい。私には無理な生活だ。誰かがずっとそばにいて、その相手の感情に対してまで気遣いして生活しなきゃいけないだなんて、私には無理だ。もちろん、そういうことに無頓着でも一緒に暮らしたいと思える相手がいるならば話は別だろうが、都合のいいことを考えること自体が間違っていると分かっているし、そもそも劣等感に凝り固まった私が幸せになれるはずもないのである。


やはりこうして何か文章を書いていると、多少なりとも心は安らぐ。

思考の整理は重要なのだ。

でも本当に羨ましいって思う。きっと想像を絶する苦労をしてきたと思うのだけど、信頼し合い、愛し合える男女が結ばれるために、両性がどんな思いを重ねてきたのか。今朝飛び込んできた冬季五輪の選手同士の結婚報道も多少は影響している。私の中で「結婚」というものがこの劣等感にどう作用しているのか。

そもそも『底辺職ランキング』上位の職種で働いている私に結婚なんて無理な話だ。資産ないし貯金もない。もう何にもない。くだらない。


ということで、この話はこれでおしまい。

揶揄されることに怒りも無いし、結局のところ私は私、なのだ。

何か物申したって誰も何もしてはくれない。

期待するだけで無駄。バカバカしい。誰も自分のことなんて心配しちゃいないさ。

こっちが勝手に向こうを心配するだけ心配して、すべて無に帰すだけだ。

そういう予防線を心に敷いておかないと私が持ち堪えられない。

そうして気持ちを切り替えていかねば心がいくつあっても足りない。

あーはいはい、私は皆さんの幸せを祈っておりますよー、ってね。

願わくば、この駄文が誰にも読まれていないことを信じて。

願わくば、きっと誰かが読んでくれて同情のDMを送ってくれることを信じて。

送ってくれた人には愛を囁きます。

先っぽだけで良いから、ってね。