16.「障害があるから嫌だ」と言われた日のこと
「あの子、障害者だから嫌だ」
その言葉を、初めて聞いたときのことを、今でも覚えている。
頭では理解できなかった。
——どういうこと?
何が「嫌」なのか。
何が違うというのか。
一緒に話して、笑って、同じ時間を過ごしていたはずなのに、
たった一つの言葉で、その関係が切り分けられてしまったように感じた。
そのとき、胸の奥に、重たいものが落ちてきた。
悲しさなのか、悔しさなのか、うまく言葉にできない感情だった。
それまで、自分の中では「障害があるかどうか」は、
人を分ける理由にはならなかった。
気が合うかどうか。
一緒にいて楽しいかどうか。
それだけで、十分だった。
でも、その出来事をきっかけに、気づいてしまった。
——そう考える人もいるんだ、と。
見えなかったものが、急に見えてしまったような感覚だった。
どうして、障害があるだけで、距離を置かれるのだろう。
動きがゆっくりだから?
みんなと同じようにできないことがあるから?
でも、それは「嫌だ」と思う理由になるのだろうか。
考えれば考えるほど、答えは見つからなかった。
ただ一つわかったのは、
その言葉が、人の心を深く傷つけるということだった。
Flowerに参加してから、この出来事を思い出すことがあった。
そして、同じような経験をしている人が、他にもいることを知った。
直接言われた人。
陰で言われた人。
態度で感じ取った人。
形は違っても、同じような痛みがそこにあった。
でも同時に、こんな気づきもあった。
「知らないから、そう思ってしまうのかもしれない」
関わったことがない。
話したことがない。
どんな人なのか、知らない。
だから、イメージだけで判断してしまう。
怖い、不安、どう接していいかわからない。
その気持ちが、「嫌だ」という言葉に変わってしまうこともあるのかもしれない。
もちろん、それでいいわけではない。
傷ついた事実は、消えない。
でも、「なぜそう思ったのか」を考えることで、
少しだけ見え方が変わることもある。
あの日の言葉は、今でも忘れられない。
でも同時に、その言葉があったからこそ、考えるようになった。
どうすれば、人は人を「違い」だけで判断しなくなるのか。
どうすれば、「知らない」を減らしていけるのか。
簡単に答えは出ない。
でも、少なくとも言えることがある。
それは、「関わること」でしか、変わらないということ。
一緒に過ごして、話して、笑って、
少しずつ相手を知っていく。
その積み重ねの中でしか、「嫌だ」という感情は変わっていかないのかもしれない。
あの日の言葉は、痛みとして残っている。
でも同時に、問いとしても残っている。
その問いに向き合い続けることが、
少しずつでも、何かを変えていく力になるのだと思う。