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暮らしの道場

生命がきらめいている世界

2015.01.02 15:00

既成概念を超え、どこまでも自由でありたい

この根源的な欲求

理想郷はそう、この世界

このあり方だなぁ

と感じる

そんな文章を、紹介したくなりました

あまりにも生命が溢れきらめいている世界ーーー



* * *



フォン・ボイの朝はまっさらな紙のように新鮮な朝でした。

めざめると気づくのです。

私たちの前にはまっさらな二十四時間がある。

だれにも、何者にも犯されない自分のためだけの時間がそこにあるのです。

集会も約束もない、バスを待つ必要もないのです。

一日がまるごと私たちのものなのです。

茶畑の世話をしたり、森の下藪刈りをしたり、果樹を植えたり、書きものをしたり、勉強したり。

何でもしたいと思うことをすることができるのです。

みんな何かに懸命に取り組んでいるのですが、決して疲れることがないのです。

どんなことをしても、どれもたまたまそうするようになっただけなのです。

茶畑の雑草引きをやめたくなったら、いつでもだれかが代わりにやってしまいます。

森を開墾したくなければ、明日やればいいのです。したいと思うことをただひたすらやるのです。

グエン・フンが「モンタグナード山の下藪を刈ろう」と提案すれば、いつもだれかが喜んで手伝いました。

またリが、「朝のうちに、谷に風が通る道をつくろう」といえば、だれかが喜んで一緒に仕事をしたものでした。

意見の一致を見るのがいとも簡単なのです。

複数の提案が出たときには、それぞれの好みでチームを組みました。

ときには、働かないでみんなで山歩きに出かけることもありました。

弁当をこしらえて、森を抜け、せせらぎのそばで休んだりもしました。

山歩きをした日の夜は、みんなぐっすりと眠りました。


フォン・ボイには服装の規制がありません。

どんな帽子をかぶろうが、どんな靴を履こうが自由でした。

一週間も髭を剃らないこともあるのです。

無精だからではなくて、もっと楽しいことが山ほどあったからです!


山間の森林地帯に住んでいると、歩きかたも動作も大胆で力強くなります。

フォン・ボイに来たものは、誰でも大声で叫ぶのが大好きになります。

あるとき、フンが全山に地鳴りがするほどの奇声を発したのです。

私はちょうど瞑想道場の片付けをしていたのですが、びっくり仰天してしまって、箒を放りだして外に駆けだしたほどでした。

話はこれではおわりません!私も大声で叫び返したのです。

森は果てしなく、人間はちっぽけでした。

無力で小さなこの自分を克服したい衝動に駆られて、私は叫び返したのかもしれません。


ここに来るまでずっと、私たちはのしかかる社会的抑圧に妥協に妥協を重ねてきたのです。

下界では、一言一言慎みながら、いつも身を守るように話さなければなりませんでした。

食事のしかたから挨拶のしかた、歩きかた、坐りかた、衣服の着かたにいたるまで、決まりづくめでした。

フォン・ボイに来てから、私たちはこのような決まりごとや因習のすべてを手放してみようと考えたのです。

山野を走りまわったり叫んだりして、社会のお仕着せを打ち砕き、自由であることをみずからに実証しようとしました。



ティク・ナット・ハン

「禅への道 香しき椰子の葉よ」


※フォン・ボイとは、ベトナムの高原に建てられた僧院。
著者のナット・ハン氏は、ベトナムの僧侶です。


(文章、所々、中略ありです)



* * *



わたしの欲求は、ここにある。

「本当に生きたい。」

あれはだめ、これは恥ずかしい

そんなしがらみなんてない

どこまでもどこまでも自由に

この心と身体のままに

生命の力を

過去も未来もすべて忘れて今この時

全身に感じたい。


舞台においては

「お芝居らしい」「誇張した」演技ではなくて

それは雄叫びを上げたくなるような

根源から溢れ出るエネルギー

本当のダイナミズム

あぁそんな風に全開でいられたらどれだけいいだろうと、願ってやまなくて



社会で生きてきた以上、

認められたい、良く思われたい

そんな考えにとらわれて

萎縮してしまった経験って、あると思うんだけど

それがわたしの場合特に、人一倍強かった。

「正解であらねばならない」という強迫観念。

「これが正解だ」と、先に誰かが教えてくれたことしかできない。

自由に動けと言われても動けない。

「動いてごらん」

「セリフを言ってごらん」

NO!動けない。言えない。

何も感じられない!

演技のしようがない!

ただ突っ立ったまま、時が過ぎる。

こう感じたんだ!

こうやってみたいんだ!

って言えなかった

表現できなかった

ガッチガチやで 笑


肉体が動きだす一瞬の衝動を止める

「間違っていたらどうしよう!」

「変じゃないかな」

「恥をかく!」

あぁその時の悔しさといったら!

自分で自分を殺してしまった、と。


評価を気にして

正解であることを求めて

恥じて、恐れて、萎縮して

心と身体が思うままに、自由に発揮できない時が、何より悲しい

もっと歌いたくて踊りたくて笑いたくて泣きたくて、大好きと言いたいし、大嫌いと言いたい、叫びたい

爆発するようなエネルギーをくすぶらせて

死んでしまった時が、何よりも悔しくて悲しい。



…そう。

これだけ、役者としてはマイナスの要素をめいいっぱい抱えていたくせに

役者でありたいと望んだのは

本質は、真逆だと

とても豊かで

爆発するくらいエネルギーが強く

どこまでも自由なんだって

深いところでは知っていたから。

この何重にも覆った不自由な「殻」の下にある

本当のわたしを生きたいと望んだ!!

だからわたしにとって

俳優修行は、この殻を打ち壊すことでもあった。



“俳優として”

ということと

“「ゆい」の人生”

その学び・成長は

いつも、パラレルだった



そして

俳優だからとか

アーティストだから

といったくくりじゃなくて☆

みんなが伸び伸び・いきいきしている

めちゃユニークで、元気いっぱいな世界

それは、叶うんだな

だってフォン・ボイは実在したんだからね