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一号館一○一教室

木下恵介 監督『カルメン故郷に帰る』

2026.08.27 02:12

あたしたちの芸術が
どんなモノか見せてやるのさ


832時限目◎映画



堀間ロクなな


 日本一の肌色職人にわたしは会ったことがある。こんな事情だ。



 その昔、美容がテーマのムックの編集長をつとめたとき、校了ギリギリの段階でどうしても表紙のモデルの肌色が気に入らず、発注先の凸版印刷の工場へ出向いたのだ。そもそもカラー(四色)印刷において肌色は最も難しいといわれ、わずかでもマゼンタ(赤系)に傾くと酔っ払ったような下品な印象になり、シアン(青系)に傾くとあたかも死体のような生気のない印象になる……といった具合で、おそらく実際の人間の肌は雑多な色調から成り、純粋な肌色なんてものは存在しないのに、それを印刷で表現しようとするところにハナから無理があるのだろう。しかし、美容の本の表紙となれば、その微妙なニュアンスが売れ行きを大きく左右しかねないわけで、会社にいたたまれず印刷の現場まで乗り込んだ次第。すると、「肌色にかけては日本一」という職人に引き合わされて、その赤ら顔の人物はこちらの言い分をひととおり黙って聞いて引き下がったのち、午前零時を過ぎたころ新たな校正紙を持ってきた。それは、まさしくわたしのイメージどおりの肌色だった!



 こうした遠い記憶がよみがえったのは、久しぶりに木下恵介監督の『カルメン故郷に帰る』(1951年)を見返したからだ。この日本初のカラー(総天然色)映画が主題としたのはストリップ・ショーで、まさに肌色への果敢なチャレンジだったことにあらためて感じ入ったのである。



 ストーリーは他愛もない。北軽井沢の村の牧場主の娘きん(高峰秀子)は、数年前に家出して東京で「リリー・カルメン」の芸名でストリッパーをやっていたが、彼女はこの裸踊りを芸術と信じて疑わず、夏の終わりに1週間の休暇をもらい、故郷に錦を飾るつもりで同僚のマヤ朱美(小林トシ子)と連れだってやってきた。堅物の校長先生(笠智衆)やかつての初恋の相手(佐野周二)をはじめ、村の人々は和やかに迎え入れようとしたものの、彼女たちの素っ頓狂な立ち居振る舞いに呆れて顔をそむけるようになり、憤慨したカルメンは朱美に向かって宣言するのだ。 



「この村で踊ろう、あたしたちの芸術がどんなモノか見せてやるのさ」



 主演の高峰秀子は後年、自叙伝『わたしの渡世日記』(1975年)のなかで、このときの撮影の内幕について克明に綴っている。いささか子細にわたるが、大変貴重な証言なので紹介したい。



 撮影の下準備は、当然のことながらカラーフィルムの発色テストから始まった。被写体は、劇映画だから当然生身の俳優である。私たち日本人の皮膚の色は、多かれ少なかれ黄色味を帯びている。メークアップ・テストはまず黄色を消すためにピンク色のドーランをベースに塗ることからはじまった。といっても歌舞伎のようにべったりと塗りたくっては、皮膚感がなくなってお面をかぶったように映ってしまう。Aという生地にBというドーランを塗れば、下の生地がBの上に浮き出て、はじめてCという理想的な色が出来上がる、という寸法である。〔中略〕

 私の場合は、なにしろストリッパーだから化粧は顔だけではすまない。胸から背中、腕から足の裏に至るまで、衣裳から出ている身体中を塗りまくらなければならない。トノコの粉をまぜた水白粉は毛穴をふさいで、それだけでも縫いぐるみを着たように暑い上に、眼の眩むようなライトにカッカと照らされるのだからたまったものではない。体中から立ちのぼる水分は汗になる間もなく蒸発して、いきなり塩の結晶となって皮膚に残った。眼の中のおつゆが乾燥し、眼は開きっぱなしなまま目ばたきができない。〔中略〕私はさすがにビックリして熱い頭を両手で押さえてカメラの前から逃げ出した。



 もとより、悪戦苦闘を強いられたのは高峰だけではない。共演者たちも同様で、自叙伝ではこんなふうに回想されている。



 カラーテストは、慎重に、というよりも執拗なまでくり返された。どういうわけか一番ヘンテコな顔色に発色するのは校長先生に扮した笠智衆で、白く塗ればオハギにキナコをまぶしたようにまだらに映り、茶色く塗ればまるで安物の文鎮のような鉛色になる。笠智衆のテストフィルムが映るたびに、スタッフ一同は呆然として首をひねった。楠田カメラマンも遂に途中でサジを投げたのか、「カルメン故郷に帰る」の完成試写の中で、笠智衆だけが、まるで腐蝕した銅像のような顔色なのが、笑っちゃ悪いけれどコッケイだった。



 いやはや、まったくもって俳優とスタッフの涙ぐましい努力が偲ばれるのだけれど、その成果はめざましかった。どこまでも澄みわたった青空の下、浅間山麓の緑なす大地を舞台として、カルメンと朱美が半裸で歌いながら繰り広げるストリップ・ショーのまぶしさといったら! それは、太平洋戦争の終結から6年後の時期にあって、いまだ生活の困窮にあえぐ日本人に励ましを届けるとともに、だれもがのびのびと呼吸できる時代の到来を告げるものだったはずだ。こうした光り輝く肌色はおそらく、今日のデジタル技術では決して表現できないだろう。