2026年、首里城正殿が再び姿を現す。着物屋から見た沖縄の染め「紅型」のお話
2019年10月31日。
沖縄の象徴ともいえる首里城正殿が火災によって焼失しました。
あの真っ赤な炎に包まれた首里城の映像を覚えている方も多いのではないでしょうか。
それから7年。
復元工事が進められてきた首里城正殿は、2026年11月22日に完成式を迎え、翌11月23日から一般公開されることになりました。
私たちも一般公開から2日後の11月25日、実際に首里城を訪れる予定です。
せっかく首里城が大きな節目を迎える年です。
そこで着物屋として、首里城だけではなく、
「沖縄に受け継がれてきた着物や染織の文化」
について、何回かに分けてご紹介してみたいと思います。
その第1回は、
「紅型(びんがた)」です。
紅型とは?
沖縄の着物と聞いて、まず紅型を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
鮮やかな赤や黄色、青、緑。
南国の植物や花、鳥、波などを大胆に表現した文様。
本土の友禅などとはまた違った、ひと目見ただけでも印象に残る染め物です。
紅型は琉球王国の時代に発達し、王族の礼装や日常着、踊りの衣裳、神事の衣裳などにも用いられていました。
また、中国への貴重な貢品として作られていた記録も残されています。
つまり紅型は、単に「沖縄らしい色鮮やかな着物」というだけではありません。
琉球王国という国の歴史と深く結びついた染色文化なのです。
「紅型三宗家」という存在
紅型の歴史を調べていくと、
「沢岻家(たくしけ)」
「知念家(ちねんけ)」
「城間家(しろまけ)」
という名前に行き着きます。
いわゆる紅型三宗家です。
琉球王朝のもとで紅型制作を担い、その技術を代々受け継いできた家々です。
現在まで紅型制作の系譜をつないでいる城間家や知念家に対し、沢岻家の系統は途絶えています。
紅型というと一つの技法のように見えますが、実際には家ごとに受け継がれてきた型紙や文様、技法がありました。
この「家ごとに受け継ぐ」というところは、私たち着物屋から見ても非常に興味深いところです。
同じ「紅型」と呼ばれていても、
「誰が作ったのか」
「どの系統なのか」
「どのような型や文様が使われているのか」
を見ていくと、その背景にある物語まで変わってきます。
沖縄戦で失われかけた紅型
しかし、その紅型文化にも大きな危機が訪れます。
1945年の沖縄戦です。
首里の町は甚大な被害を受け、紅型を制作するための道具や型紙、工房なども失われました。
何代にもわたって受け継がれてきた紅型文化そのものが、存続の危機に立たされたのです。
その戦後の紅型復興に尽力した人物の一人が、
「城間栄喜(しろま えいき)氏」です。
城間氏は、城間家14代にあたります。
沖縄県立図書館の紅型資料でも、城間栄喜氏は、沖縄戦による焦土の中で紅型の復興に尽力した人物として紹介されています。
首里城と同じように、
一度大きく失われたものを、もう一度つないでいく。
今回、首里城復興をきっかけに紅型を取り上げたいと思った理由の一つが、ここにあります。
城間栄喜氏のもとで学んだ玉那覇有公氏
そして、ここからもう一人の重要な人物へとつながります。
「玉那覇有公(たまなは ゆうこう)氏」です。
1936年、沖縄県石垣市生まれ。
1962年から城間栄喜氏のもとで紅型を学びました。
そして1996年。
重要無形文化財「紅型」の保持者に認定されます。
いわゆる「人間国宝」です。
紅型という分野で初めて人間国宝に認定された人物が、玉那覇有公氏です。
城間栄喜氏は人間国宝には認定されていませんが、戦後の紅型復興に大きな役割を果たした人物として知られています。
その城間栄喜氏のもとで玉那覇有公氏が技術を学び、やがて紅型初の人間国宝となりました。
この流れを知ってから作品を見ると、紅型の見え方も少し変わってくるのではないでしょうか。
実は、当店にも玉那覇有公氏の作品があります
そして今回、紅型について書こうと思ったもう一つの理由があります。
当店にも、
「人間国宝・玉那覇有公氏の紅型」
があります。
近くで見てみると、まず目を引くのが紅型ならではの色彩です。
ただ派手なのではなく、いくつもの色が重なりながら一つの文様を作っています。
型の細かな仕事や色の差し方まで見ていくと、写真で全体を見たときとはまた違った表情があります。
「人間国宝だから価値がある」というだけではなく、
琉球王国の時代から続いてきた紅型があり、
沖縄戦によって失われかけ、
戦後に再び立ち上がり、
その技術を受け継いできた人たちがいる。
その歴史を知ったうえで実物を見る。
着物や染織の面白さは、こういうところにもあるのではないかと思います。
首里城の「復興」と、受け継がれてきた紅型
2026年11月23日。
復元された首里城正殿が、いよいよ一般公開されます。
そして私たちは、その2日後に首里城を訪れる予定です。
今回、紅型について調べながら改めて感じたのは、
首里城も紅型も、決して「昔からそのまま残っているもの」ではないということです。
失われても、もう一度作る。
残っている資料を探す。
技術を次の世代へ伝える。
そうやって、人の手によって受け継がれてきました。
新しく復元された首里城正殿を実際に見たとき、今までとは少し違った目で沖縄の文化を見ることができるのではないか。
今から楽しみにしています。
現地を訪れた様子についても、11月に改めてこのブログでご紹介したいと思います。
次回は「喜如嘉の芭蕉布」と平良敏子氏
沖縄には、紅型以外にも世界に誇る染織文化があります。
次回ご紹介したいのが、
「喜如嘉(きじょか)の芭蕉布」です。
そして、その芭蕉布を語るうえで欠かすことのできない人物が、
平良敏子(たいら としこ)氏です。
平良敏子氏は、2000年に重要無形文化財「芭蕉布」の保持者、人間国宝に認定された染織家です。
実は当店には、
平良敏子氏の作品もあります。
次回はその実物もご覧いただきながら、
「芭蕉布とは、いったいどんな着物なのか」
についてご紹介したいと思います。