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暮らしの道場

2018.11.20 15:00

『結 -MUSUBI-』の修練は奥が深くて、

いわゆる「古武道の演武」という形式でもなければ「殺陣」とも違い

『古武道 × 表現』!!


技と

表現!!


この二つの柱が一体となって成立しているからこそ

師範の教えの 真骨頂であり

『結 -MUSUBI-』のスタイルなのだ。


表現といえど、まさか「いかにもカッコよく」見せるような仕方のことではない。

しかし 表現における『リアリティ』などと

口で言うのは簡単だけど

それこそアートの真髄でもあり


少しでも『今』から気をそらして、ただ手順を追って カタチばかり整えるようなことをすれば

平気ですべてはウソッコになる。

ウソッコのお芝居は、惰性で、楽なもんだから。

いとも簡単に陥るものだ。



そして

ステージ稽古をしているときの 師範の動きは

軽やかだから

苦もなく簡単に出来ているように見えていた。

師範が刀を帯びて歩み出す時、空気がブワッと変わると感じていたけれど

それも自然に発せられる才能みたいなものかと思っていた。


しかし

全ての稽古が終わって 皆と解散した後に、

師範は 身体の疲労を見せた

そこでやっと気付いた


たしかに

自然にやっている

しかし

楽はしていない


師範が一番 手を抜いてやったって、きまって見える。成立しているように見える。

なのに

一番、身体のエネルギーと 精神の気迫を

注ぎきっているのは、

師範だったと 知った。


一番下手なはずの 弟子の方が、一番集中して

体力・姿勢のギリギリのところまで迫って踏ん張って

やらなければならないのに

手を抜いていたのだと 知る

楽をして やっていた


別に腑抜けた気持ちでやっていたつもりはない

自分なりに 集中して、身体も使ってやっている と思っていた。

でも そのレベルが違った。

「自分なり」なんて 全然、表現すべき領域に 追い付いてない

やっている「つもり」くらいのものだったんだって。


そう気付いたことを

伝えると


『その “気の入れ方” こそが 皆、出来ないんだよ。それこそ、年月がかかるところなんだ。

そこがまだ、アマチュアなんだな。

俺だって、今の自分と、10年前の自分、それよりも前の自分と、違う。

だけどな、

「あれが出来ない、これがダメだ」なんて思うことはないんだ。

上手いとか下手とか、そんなことを気にすることはない。

今のレベルで、今出来ることを、精一杯臨む。

それが、“気を入れる” ということだよ。気構えだな。』


そう答えてくださった。



師範が演出として見えているビジョンは もっと高いレベルだ。

けれど 私の側が 追い付いてないと感じる。

しかし師範は それが今のレベルだということも

分かっている

すぐに良くなるわけでもない、年月が要ることを。

だから、今、取り組める分だけを助言してくださり

あとは黙って、大らかに見ていてくださる。



がんばらなくっちゃ。

これだけ

まだまだ先がある、探究しがいのあることに

取り組めているのだから 幸せだ。