Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

暮らしの道場

舞台という矢面に立つ。

2018.09.22 15:00

『本番』は格段に

己のちから を 引き上げてくれる。


わたしは演劇に 長年携わってきたが

お客様を前にしての『本番』の 1回の舞台は、

100回の普段の稽古を 超えるほどの学びがある

なんていう風にも言われ

(*当然、稽古こそが揺るぎない実力を身に付ける場であり、それがあってこその本番である、その意味での言葉だ。)

わたし自身、何度も体験・実感してきたことだ。


演劇も

武道も

分けることなく

その学びは、同じだと思っている。



ステージの上でなくとも

たとえば

稽古中、皆と一緒に 同じ動きをしている時 と、

“では、あなたの技を見せてください。” 

と 他者からの視線の中、中央に立ち、

一人やってみせる時 とで


「まったく変わりません。」

というのなら

それはもう達観しているのかもしれないが 笑


多くの場合

緊張感が 変わってくるのを

感じられると思う。


そんな中での演武は

今までなんとなく、自分は出来ているような気がしていた

幻想が消えて

下手さは いつもの10倍くらい強烈に実感するし 笑

技も心も 散漫で定まらない、己に気付く。


そこから学ぶことは

大きい。

そこから

本番への稽古が 始まる。



本番に向けた日々は

ただ「楽しみ・わくわく」だけでは ないこともある。

プレッシャーのあまり、逃げたくなる気持ちすら湧くかもしれない。

どこまで出来るかなど 分からない、

けれどそこまで 自分を引き上げる

本番は一体どうなることだろう? そんな未来など分かるはずもない

…そんな、『挑戦』になるから。


しかし

やり終えてみてほしい

やって分かる実感は 計り知れない


これが 学びだと

これが 体験の価値だと


経験 を経て

やる前と後では、違う自分を

確かに感じられるから。



「いち生徒だから…」

「皆と一緒に、この程度稽古出来ていればいい」

というような

安心安全な領域で、自分を留めておくことなく

慣れ親しんだ 易しい立ち位置 から

一歩、


「皆の注目を集めると同時に、自分が責任を持つことになる」

「多くの人の中に紛れて 隠れ蓑に隠れ 口先だけで誤魔化しては いられなくなる」


そんな

『矢面』に  笑

立つ。


その勇気が

己を成長させることになる。



本番の経験は

失敗も

満足も

技術についても

己の振る舞い・在り方についても

自分としては どうだったのか

そして、お客様は何を感じてくれたのか

ということも

色んなことを

胸にはっきりと刻まれるように 色濃く感じ取ることが出来、

すべてが 己の肥やしとなってくれるから。


さらに

一回、一回を

重ねるごとに

『あの時のわたし』を超えて

変わってゆくものだから。




【結 -MUSUBI-】は

私も

師範も

もともと演劇や映像の業界にいた ということが

特質でもあるが


皆、そういう経験ができたら

ほんとうに面白いと思う

そうやってどんどん 新しい境地へと興味を持って面白がって やってみる

そういう機会が与えられる場にしたいと

わたしは思っている。


師範は常々 こんな風に言う


「あの人面白いな〜、

みんな個性があっていいよ。」


「あの人、役者にしてぇなぁ。

演劇をやったことがなくたって、関係ないよ。

その人が今まで生きてきた中での、個性があるんだから。」


「太っている人、痩せている人、手足が長い人短い人、優しい人、飄々としている人……

みんなの個性があるんだ。

それは居合や演武にだって表れるものなんだ。

皆が 決まりきったカタチで同じようなものに見えるなら、意味がないよ。」


なんて風に。


(個性の自由さとは、武術としての基礎あってこそであり、めちゃくちゃな動きでの個性では ないですよ★)



そう だから

わたしたちにとっては

『武道』と『表現』を合わせることが

武道は武道

演劇は演劇

と分けることもない

同じ一つの道として

あるんだよね。



そんな

【結 -MUSUBI-】を通して

面白い経験を

充実した学びを

たくさん、体感していってほしいと思う。