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8月30日 主日礼拝

2026.08.31 03:32

8月30日 主日礼拝

礼拝説教

伊藤大輔牧師


使徒言行録 27章39~44節

パウロはなぜ世界宣教を志したのか。

それは「理」を見つけたからではないか。

イエスを通して、律法が本当に語ろうとしていた「理」

それは世界中どこでも通用する。

それをもってパウロは宣教へと赴く。

「理」とは何か。

それを伝えるためにルカ福音書があるのではないか。

ルカの特徴。

系図、イエスの振る舞い、ユダヤ民族という社会を超えて異邦人、世界への視野がある。

境界線を超えていく。

境界線とは人が設定したもの。

その境界線を利用して、仲間意識、協力体制は強まるが、一方で争いも作り出す。

境界線によって作られた協力は実はまやかしの関係にしかすぎない。

本当の関係は境界線を超えるところにある。

「理」とは境界線を越えること。

ただ、この思想はギリシャ世界でもすでに課題にされていたこと。

別段、新しいものではない。

その上でキリスト教の新しさ、違いがある。

キリスト教の個性。

イエス・キリスト。

受肉。

神がこの世界を肉体を持って歩まれた。

「境界線を超える」は思想、空想の話ではない。

憧れ、理想でもない。

この身体をもって実行すること。

それは必ず実現する。

十字架と復活。

境界線を肉体をもって超えた。

パウロを運ぶ船舶。

座礁する。

兵隊は囚人が脱走するのを恐れて全員を殺そうと考える。

隊長はパウロを生かしておきたかったので、その計画を防止する。

一人の存在が全員を救う。

イエス・キリストについてパウロが言ったこと。

一人の義が世界を救う。

パウロのこれまでの言動、それが裁判では認められなくとも世界を救った。

身体をもって行動したことが世界を変えていく。

境界線を変えていく。

身体がそれを実現していく。