自分に還り、自分を生きる
毎日生きる、ということを丁寧にしながら、Core Fieldが大切にしたいことは何だろうかと考えていた。
「自分を失わずに、生きられる感覚」
という言葉がふと湧いてきて、土台にあるのはこれだな、と思った。
もっと成功するとか、もっと自信を持つ、もっと愛される、というのも大切なのだと思う。
けど、そうしたなにかを上乗せするだけでなく。
これまで自分だと思っていた反応や役割、意味づけから少しずつ距離が生まれ、自分の身体、自分の感覚、自分の選択に戻ってこられる。
その感覚があってはじめて、人生のドライブが始まると今は思う。
それは、何かを成し遂げる以前にある、生きる土台。
そこに生まれる、愛と自由。
この世界で一生懸命生きてきた私たちは、周りの期待や「普通」を背負い、いつの間にか自分の人生がわからなくなっていることがある。
自分のものではない責任を背負い、自分の感情を後回しにし、身体の声を無視しながら、その場所で生きられるように適応してきた。
そこから自分に還っていくには、
背負いすぎた責任を下ろし、未消化の感情を少しずつ消化し、身体や人生の中で止まっていたものを動かしていくプロセスが必要になる。
それには、痛みを伴うことがあるかもしれない。
その痛みを味わわないために、これまで一生懸命に適応してきたのだから。
でも、そんな自分にもう、おつかれさま、と言ってあげたい。
最初は大きなことではなくて、
「休みたいなら休む」
「会いたい人に会う」
「やってみたいことをやる」
「嫌なものは嫌と言う」
「他人の責任を背負わない」
といった小さなことだったりする。
自分の感覚を確かめ、その感覚を置き去りにせずに選んでみる。
そうすると、これまでとは違う歯車が回りはじめる。
自分に戻ることは、世界から離れることではない。
自分の内側だけにとどまることでもない。
自分に戻り、そうして、自分として世界に出ていくこと。
自分の感覚を失わずに、人と関わり、働き、選び、創り、生きていくこと。
その世界とのつながり方は、ひとりひとり違う。
自由に表現することかもしれない。
新しい事業を始めることかもしれないし、暮らしそのものが変わることかもしれない。
光と緑に包まれる場所で、静けさの中に暮らすことかもしれない。
自分が本当にしたいと思っていることは、本当に自分がしたいことなのだろうか。
そう問い直してみることも、ときには大切になる。
それは、自分の内側から生まれた願いなのか。
そこに、誰かから、社会からどう見られるかという視点が混じっているのか。
その二つをきれいに分けられないこともあるけど、自分の願いに、いつも他者からの評価を通過させなくてもいい。
自分のしたいことに、どう見られるかの評価軸を入れる必要なんてない。
その「社会」は、少なくとも自分のフィルターを通して見えている、小さなひとつの間口でしかないことを、私たちはすぐに忘れる。
少なくとも私は、身体の声を無視しない世界を選ぶ。
私は、自分を失わずに人と関わることを大切にする。
それは、周囲の期待や役割から自由になることだけではない。
思考や反応に呑み込まれたときにも、身体と感覚を手がかりに、もう一度、自分の場所へ戻ってこられること。
反応がなくなるわけではない。
もう揺れなくなるわけでもない。
反応があるまま、その反応に自分の進む方向を決めさせず、自分が生きたいほうへ、
身体ごと向き直る。
そして、自分を失わないまま、人と関わり、選び、生きていく。
そこにあるのは、深い自己一致とともに、この世界とつながれる喜びなのだと思う。
自分の人生を、自分の手に取り戻す。
もっと自由に、自分の人生を生きる。
私たちは、還る。
自分の身体へ。
感覚へ。
人生へ。