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一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

vol.216「家康の御落胤」について

2026.09.14 20:20


家康の正室と側室は合わせて21人と言われているが、これはあくまでも公式記録での事。子が生まれなくとも手を付けていた女性は多く、中にはひそかに子を宿し、落胤(隠し子)と噂される人物もいるらしい。

少なくても10人近い落胤がいたとされ、中には将軍や有力大名や幕府の重臣だったりと様々。では、その落胤とされる人物を何人か紹介してゆこうぞ。




● 豊臣秀頼は「家康と淀殿の子」説


さすがにこれはないと思われるが、なんでそんな説があるかと言うと、秀吉が種なしだった可能性が相当に高いから。なんせ何百人も高貴な女を強制的に妾にして、やりまくったくせに秀吉の子は全然産まれてない。あまりにも産まれないもんだから、本人も諦めて、仕方なく甥の秀次を後継者に選んだくらいで。


ところが急に淀殿が男児を産みよる。秀吉はそりゃ喜んだ(秀次一家を皆殺しにするくらい喜んだ)けども、なんか淀殿あやしくね?って誰もが思う。それホントに秀吉の子か?と。


現在でも、秀頼が秀吉の実子だったか否かについての論争がある。実子でないという説では、根本的に秀吉には子種がなかったと考えられることと、秀頼が誕生する約10ヵ月前に秀吉と淀殿はともに肥前名護屋(佐賀県唐津市)にいなかったことなどを理由として挙げている。


通常、男女が交わってから、約10ヵ月後に子は誕生する。約10ヵ月前にふたりが一緒にいなかったのだから、秀頼は実子でないということになろう。


では、秀頼は誰の子なのだろうか。一説では、淀殿と側近の「大野治長」が密通してできた子であるといわれてきた(『萩藩閥閲録』)。とはいえ、この話は明確な根拠がなく、単なる噂にすぎないだろう。


じゃあ「石田三成」か? 「徳川家康」か? と。それくらいしか淀殿と浮気できる器がいないので、家康の名前も候補に挙がってるわけだ。しかし、秀吉に遠慮して江戸城ですらボロいまんまにしていたほど慎重な家康が、この局面でそんな危険なことするわけがない。そもそも、淀殿は厳重に警護されていただろうから、家康と交わる機会など考えられない。


てことは、犯人は淀殿に近かった石田三成なのかなあ〜ってなるが、分からないことを考えてもしゃーない。とにかく、家康ってことは普通あり得ないはずなのに容疑者リストに家康が挙がる理由は、「それだけ落胤が多かったから」である。隠し子の常習犯だったら、まあ疑われますわな、って話。


https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/563f946d3eab0b704b479497928d720875f5ef37




● 徳川家光は「家康と春日局の子」説


こちらもなかなかトンデモ説に聞こえるが、火のない所に煙は立たぬと言いまして。家光の出生には不思議な点がいくつかありましてな。まず「春日局=家光の生母説」の根拠が以下のとおり。


① 慶長8年7月末に江が伏見で次女子々を出産した。その間、秀忠は江戸にいて二人は別々の場所にいた。よって、翌年7月に江が家光を出産するのは難しい。


② 江が(秀忠の子)全員の母であれば、足掛け11年間で8人を生んだことになる。このペースには無理がある。8人のうちの数人は侍妾から生まれた子で、江はその表向きの母になったと考えた方が武家社会の慣行に基づくし、自然である。


③ 家光の出産は江を母とした場合に、明らかに産み月が足りない(10か月に満たなかった)にもかかわらず、家光は「平産」だったと言われている。


④ 徳川家の嫡子でありながら、家光の幼少時の事績が曖昧である


⑤ 家光誕生時に付けられた小姓が、親の地位が低く、また長男ではない


⑥ 江が家光の誕生月日を公表しようとしなかった


⑦ 江の葬儀は、家光ではなく、(江の実子であることが明らかな徳川)忠長が担当した


⑧ 江は大御所秀忠の妻、現将軍の母であるにもかかわらず、その死後に従一位を贈ることに否定的な公家がいた


とまあ、以上のことから家光は江の子ではなかった可能性が高い。

となると怪しいのは「お福(のちの春日局)」である。そう考えると後継者争いで、お福と江がバチバチだったのも頷ける。そりゃ江も「竹千代」より、自分で産んだ子「国千代」を偏愛するわけだ。しかも、お福は「明智光秀」の重臣の娘である。叔父・織田信長を殺した光秀一派が憎くないわけがない。


しかし、江はそうでも秀忠まで己の長男を差し置いて次男を贔屓するのはおかしい。つまり「この長男の秀忠の子ではない」のではないか。では誰の子なのか家光が二代将軍の子ではないのに徳川家の家督を継ぐことがまかり通る父親。。そうです、家康様しかおりませぬ、ってなりますわな。


そう考えると「家光」の名も、家康の「家」と、光秀の「光」から来てるのか!とか妄想も膨らむ。さらには、ここに「新説・本能寺の変」も加えると、ますます面白くなるのだが、それはまた3周目の機会に残しておこう。


https://ameblo.jp/hidekifukunaga/entry-12040199585.html




● 大老にまで出世した男「土井利勝」


家康、秀忠、家光と、幕府の礎を盤石にした3人に仕え、「家光の懐刀(ふところがたな)」とも言われた男。3人から重用される理由は、一体何だったのか。


幕府の最高職にまで昇りつめた土井利勝だが、その出自ははっきりしていない。父親候補は3名。そのうちの1名が、徳川家康。いわゆる「家康の御落胤説」である。このような噂は、別段珍しくない。どの戦国武将にも囁かれるものである。


ただ、利勝の場合、単なる噂とは片付けられない事情が。というのも、まことしやかに囁かれたこの噂、徳川家の公式記録である『徳川実記』にも記されているからだ。


この男、なぜか出世街道まっしぐら。幼少時より家康に仕え、鷹狩りにはお供を命じられるほどだったという。30歳もの年が離れた家康の寵愛ぶりに、御落胤ではとの疑いを抱かれるのも仕方あるまい。


それだけではない。利勝は、それから7歳にして秀忠に仕えることに。当初、米200俵を与えられ、その後は秀忠の側近として頭角を現し、あっという間に加増の連続。慶長7年(1602)に1万石。慶長20年(1615)の「大坂夏の陣」の後には、6万5000石に加増。寛永10年(1633)には、下総国古河藩(茨城県古河市)へ転封。最終的には16万石と大出世。


なんなら、慶長5年(1600)の「関ヶ原の戦い」では、徳川秀忠は大遅参。家康に大目玉を食らうのだが。この秀忠に付き添っていた土井利勝は、逆に500石加増なんで?と目を疑う破格の待遇である。こんな調子で土井利勝の出生の裏には「家康の御落胤説」が付きまとう。


そして、それは時が経過するほど、真実味を帯びる。

歳をとればとるほど家康様に顔が家康様に似てきたのだ。


利勝は家康の落胤と噂されることを嫌がっており、ある日いきなりヒゲを剃る。ヒゲがあって当たり前のこの時代、ツルリとした顔で江戸幕府に出仕した際は、周囲に大層驚かれた。


ヒゲまで手放して、「家康似」から遠ざかろうとした土井利勝。しかし、彼の家臣らはそんな気持ちなど露知らず。「土井様が剃られたのに……」と、日本特有の空気を読む気質は、既にこの時分から育まれていたのだろうか。土井様にヒゲがないにも関わらず、まさか下位の自分たちが生やすだなんてと、いらぬ配慮を勝手に行った結果。なぜか皆が一様に剃ったという。こうして、武将からヒゲがなくなったのだとか


しかし、見た目はアレンジできても性格までは偽れない。利勝は、彼は非常に気配りの行き届く人であった。家臣らに注意をする際も、ただ上から叱りつけるようなことはしない。真正面というよりは、真横からアプローチするようなタイプである。


例えば、2代将軍秀忠は大のタバコ嫌い。嫌煙家だったことは有名だ。これを受けて、江戸城も全面禁煙となる。ただ、そうは言っても、すぐに止められないのが人間というもの。いくら全面禁煙となっても、隠れる場所はある。


こうして、仕事を終えて一服する武士たち。そこに、あの土井利勝が登場。まあ、体育館の裏辺りでふかしているところを、校長に見つかったような感じだろうか。大いに慌てふためく武士の皆さん。だって、相手は老中である。どのような処分となるのか。戦々恐々するも、そこを、土井利勝は。


「まあまあ」となだめて横に座ってきたのである。冷や汗をかき、困り果てた武士たちに、利勝は暢気に「わしにも欲しい」とタバコをねだる。こうして、土井利勝も武士らに混ざってタバコをふかすことに。


そして、去り際。「珍しいモノを有難い」と言葉をかけて。「今日はわしも同罪だと。しかし、これからはもう止めるように」と諭したという。最後の言葉が極めつけ。「上様がことのほかお嫌いなのでな」落語のような見事なラストである。江戸城では、これ以降、城内での喫煙はなくなったという。なんとも、憎い注意の仕方である


他にもそんなエピソードは複数あるが割愛する。ともかく気配りが上手で、人望も厚かった土井利勝。家康とは別の父親候補に「家康の叔父・水野信元」がいるが、信元と家康の性格を比較した時、短慮であった信元よりも、思慮深い家康の方が利勝の性格と共通する要素が深いと云われている。


https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/121866/

https://ja.wikipedia.org/wiki/土井利勝




へぇ〜。秀頼はともかく、家光と土井利勝については可能性高そうで面白い。

どちらもホントだとして二代将軍・秀忠の立場になってみると、家臣に兄弟がいるわ、親父の末っ子を自分の長男として育てなアカンわ、自分の子は将軍になれないわで、散々ですな。


そりゃ親父死んでから八つ当たり的に親父の家臣ら処分したくもなるわw