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哲学対話

ヒント/主体について①

2026.09.09 00:35

2026年9月6日の哲学対話、テーマの1つとなった「主体とは」。

テーマに上げてみようと思ったきっかけは内山節の『ローカリズム原論』第八講で内山が述べる「主体」についての文章が気になったからだった。

内山の文を3つ、以下に抜粋する。

「(欧州の中世の)人々は、神が何を求めているのかを問うかたちで自分の行動を考えるようになります。神の意志にかなうかたちで実践をするということです。そして、そこに人間の主体があったのです。」p127

「神に代わる普遍的な「何か」を求めながら、しかしその「何か」は普遍的ではありえないというジレンマを、ヨーロッパ近代思想はもたざるをえなくなります」p128

「神が軸にならなくなってから以降、主体は漂流しつづけているのです」p136

私は「神の意志」を「主体」として捉えるということを考えたことがなかった。さらに、内山の文脈から理解される、「主体」の「他者性」という発想が意外で、新鮮に感じた。「主体」とは自分の外に存在するもの(客体)だとは、今まで思ってもみなかった。

そしてページに従って文章を追うと、現代において「主体の在処」は定かではないことが分かる。

哲学対話の活動の中で、大学生の子を持つ参加者から、「人生経験がないのに、17、18歳の子に進路を決めろという方が酷だ」という意見が過去に何度かあったことを私は思い出した。「自分が学びたい大学・学部に進学すればいい」と言う以前に、「主体」(中世ヨーロッパであれば「神の意志をかなえる」という目的)があいまいなまま、「自己責任」で、人生の一大決心をするのは、そりゃ「酷」な話だと、あらためて合点がいった。