ヒント/主体③日本語で考える「subject」
内山の論考では「主体」を「主体的」「主体性」という派生語を使って考察している。それに準じて英語で対応すると「subject」「subjective」「subjectivity」となり、一見すると違和感がない。ところが、実際にはこれらを再度和訳すると「主体」「主観的」「主観性」というようなズレが生じる。じつは「主体的」は「proactive、self-motivated」、「主体性」は「initiative、independence」の方が意味的に近い。
だからといって、内山の論考が間違っているということではない。
「ズレが生じる」ところに面白さがある。日本語で考えても英語で考えても結論が同じであるならば、どちらかの言語の利用価値が減衰していくだろう。そこに違いが出て来るのであれば、世界をより多様な視点でとらえることができる。
日本列島に暮らす人たちは、縄文時代まではせいぜい縄の結び目をつくる程度の記号を使っただけで、文字は持たなかった。その後、渡来してきた人たちによって文字がもたらされ、同時にそれまで使っていなかった新しい単語(知識・概念)も入ってきた。それ以来、千数百年の間、外来語に対する好奇心が絶えることなく、日本語はより豊かに様々な物事を表現できるようになった。
ここ30年くらいは、海外で作られた新語がそのままカタカナ語として大量に入って来ると同時に、その意味が時に狭隘になったり、日本語コミュニケーションを曖昧にし、誤解や混乱を招く原因にもなっていたりする。
---------------------------------------------------
おまけ
言葉だけではなく、美術品も空間と時間を経て変化し、日本の文化の一部となった。
左:大英博物館所蔵 ガンダーラの仏像(紀元2~4世紀)
右:国立博物館所蔵『木喰自身像』(1804年江戸時代)