「引き寄せ」は願うことではなく、現実に触れることで動き出す
「こうなったらいいな」
そう願って、未来を思い描く。
ノートに書いてみる。
ビジョンボードをつくる。
瞑想しながら、すでに叶った自分を想像する。
それなのに、なぜか現実は変わらない。
そんな経験はないでしょうか。
引き寄せの法則では、「強く願えば、現実がその方向へ動き出す」と語られることがあります。
でも、もしそうならなぜ、ずっと願っているのに動けない人がいるのでしょう。
もしかすると大切なのは、「どれだけ強く願ったか」ではなく、「その未来を、どれだけ現実の中で確かめたか」なのではないでしょうか。
未来を思い描くこと自体は、悪いことではないけれど、目標を思い浮かべることや、なりたい自分をイメージすることにはちゃんと意味があります。
脳は、いま目の前にある情報だけを受け取っているわけではありません。
「自分は何を目指しているのか」
「何を大切にしたいのか」
という情報によって、注意を向けるものも変わるといいます。
私たちは、目の前にあるすべての情報を同じように見ているわけではないのです。
だから、「こんな暮らしがしたい」と意識することで、これまで気づかなかった選択肢や情報に気づきやすくなる。
これは、引き寄せを感じる体験のひとつとしてなんとなく感じたことが誰しも一回くらい近い体験をしたことがあるのではないでしょうか。
少しおもしろい研究があります。
心理学者ガブリエレ・エッティンゲンらの研究では、望んだ未来をただポジティブに空想するだけでは、かえって目標に向かう努力が弱くなることが示されています。
一方で、「こうなったらいい」という未来と、「いま、その未来を邪魔しているものは何か」という現実を一緒に見る。
この mental contrasting という方法は、目標に向かう行動を促すことが研究されています。
つまり、夢を見ることと、夢を現実につなぐことは、必ずしも同じではない。
ここはとても大事な部分なのかもしれません。
たとえば、「いつか自分の好きなことを仕事にしたい」と思ったとします。
頭の中では、「好きなことを仕事にしたら、毎日楽しいだろうな」と容易に想像できると思います。
そこで一度その仕事を小さく始めてみるとします。
人に話してみる。
一人に届けてみる。
値段をつけてみる。
申し込んでもらう。
断られてみる。
思ったより喜ばれてみる。
すると、想像していた未来とは違う情報が返ってきたりします。
「思ったより喜ばれるんだ」
「私が思っていたより苦手なんだ」
「こっちは意外と楽しかった」
「この人の反応は、私は想像していなかった」
こうして、現実から新しい情報が入ってきて脳では、予測と結果のズレが学習へと関わってゆくのです。
ドーパミンについても、単純に「快楽物質」と考えるより、予測と結果のズレを含む学習や行動選択との関係から見るほうが、現在の研究には近いようです。
2024〜2025年のレビューでも、ドーパミンの予測誤差は単純な「ごほうびの量」だけでは説明できない、より複雑な学習信号として捉えられています。
つまり、現実に触れると、想像では得られなかった情報が入ってくる。
そして、その情報によって次の選択が変わる。
ここに「現実が動き始める」感覚が生まれるのかもしれません。
また、最近話題の量子力学には「観測」という行為があります。
量子力学でいう観測は、「人間が強く願えば、意識によって宇宙の現実が決まる」という意味で伝わっています。
量子測定では、測定対象と測定系との物理的な相互作用が重要で、少なくとも物理学の「観測」を、そのまま「願えば現実が変わる」という話に置き換えることはできないのだそうです。
だから私は思うのです。
「現実に触れたから、自分の認識と次の行動が変わった」と。
こう考えるほうが、ずっとおもしろくないですか。
引き寄せとは、「自分と自分の関係性が変わること」なのかもしれません。
たとえば、「自然の近くで暮らしたい」と思っている人がいたとします。
でも最初は、ただ願っているだけ。
そこで、
近くの森へ行ってみる。
農家さんと話してみる。
植物を育ててみる。
一日だけその土地で過ごしてみる。
すると、
「私は本当に自然の近くで暮らしたいのか?」
という問いまで変わってくるかもしれません。
「思っていたほど便利さを手放せないかもしれない」
と思うかもしれないし、逆に、
「思っていた以上に、静かな場所で暮らすほうが自分らしい」
と気づくかもしれません。
つまり、行動とは、願いを叶えるためだけのものではなく
自分の願いそのものを、現実に照らして確かめる行為
でもあるのだと私は思うのです。
私がアーユルヴェーダを好きなのは
ここなのだと思います。
アーユルヴェーダも、「こうすれば健康になれます」という答えを一方的に渡すものではありません。
少なくとも私は、そう捉えています。
食べてみる。
眠ってみる。
季節の変化を感じる。
身体の反応を見る。
気分の変化を見る。
そして、「私の場合は、どうだった?」と今ある物差しで確かめてみる。
試して、感じて、
ひとつ読み解いて、
そして、また選び直す。
同時に「自分の感性」を信じる感覚も育ちます。
だから私は、アーユルヴェーダは「確かめ算」だと思っています。
つまり「願う → 叶う」ではなく、「願う → 触れる → 確かめる」
ここまで考えると、引き寄せの見え方も少し変わってきます。
願う
↓
意識する
↓
見えるものが変わる
↓
小さく動く
↓
現実から反応が返ってくる
↓
自分の認識が変わる
↓
次の選択が変わる
↓
また現実に触れる
この循環こそが生きることだしこのプロセスこそがすでに幸せな状態だし、既に願望現実までの道を歩き始めている、ということなのかもしれません。
だから、「行動すれば願いが叶う」とさえも、言いたくありません。
行動した結果、「そもそも私は、何を望んでいたんだろう」と願いそのものが変わることもあるからです。
本当に「現実は、一つ」しかないのでしょうか?
本当の「あなたの望み」はそれ一つなのでしょうか?
その現実をどう受け取り、何を感じ、どんな意味を与え、次に何を選ぶかは、少しずつ変わってゆくし選択肢が増えることでもっともっと望みも増えるし気づけば既に望みが叶っていた、なんてことに気付けるかもしれないのです。
だから、「引き寄せたい」と思ったら、未来を何度も想像するだけではなく、一度、その未来に触れてみる。
会いたい人に会ってみる。
行きたいと思う場所に足を運んで行ってみる。
気になる人と直接話してみる。
惹かれたままに食べてみる。
構造を知りたかったら実際作ってみる。
そしてそれらをトライ&エラーで何度も何度も失敗を繰り返し、確かめ算による相互結果から得た奇跡の体験を積み重ねてみる。
そうして、自分の身体と現実から返ってくるうちから沸き起こる声を聴いて感じてみる。
今、私は満たされてる?
幸せですか?ってね。
もしかしたら、引き寄せとは、願った未来がこちらへ近づいてくることではなく、自分がその未来を確かめに行くことであなたと現実との関係性が変わっていくことなのかもしれません。
現実は、一つ。
でも、
その意味は、自分が育つことで変わっていく。
だから私は、「何を引き寄せるか」より、「何を感じ、何を確かめ、何を選び直していくか」を大切にしたいです。
アーユルヴェーダを通して、私がお伝えしたいのも、きっとそこなのだと思います。
私はこれまで、そんなことをたくさん体験してきました。
行動しながら、感覚を味わう。
体験を重ねて、確かめる。
そしてまた、感じてみる。
楽しいこともある。
怒ることもある。
泣くこともある。
悲しいことだってある。
でも、その感情も身体で感じたリアルな体験も、ぜんぶ自分の人生にしかないもの。
だからこそ、生きることは、おもしろい。
そして今日もまた、ひとつやってみる
感じてみる、確かめてみる
あなたは今、
何を引き寄せたいですか?
その未来を、ほんの少しだけ、
確かめに行ってみませんか。
本日もお読みいただき
ありがとうございます。