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幕末島津研究室

混浴は素朴?みだら?

2026.09.27 08:00

 混浴に仰天

 江戸時代の日本はあちこちに公衆浴場がありましたが、湯気を逃がすという構造上の理由と、盗難防止など相互監視の狙いもあって、どこも往来から中が見える構造でした。

当時の脱衣所は浴室と一体でしたから、着物を脱ぐところから身体を洗っているところまで、すべて丸見えです。

前回「清潔は熱い!」でも述べたように、江戸時代の日本人は裸を見られることに抵抗がなかったので、このような構造でも問題はありませんでした。

これに対し、西洋諸国の浴室は昔から密閉空間です。

というのも、シャワーはそれほど湯気が出ませんし、サウナは密室でないと効果がありません。

日本に来た外国人たちは、まずは公衆浴場の中が見えることに驚きました。

そして公衆浴場をのぞき見た外国人たちがさらに仰天したこと‥‥、それは「混浴」です。

前回取り上げたペリー艦隊公式画家のドイツ人ハイネですが、彼は日本の風呂にいたく興味を持ったようで、ペリー艦隊の報告書(公式記録)にはハイネが描いた下田の公衆浴場の絵が掲載され、このようなコメントがついています。

裸でも気にせず男女混浴をしている公衆浴場を目のあたりにすると、アメリカ人には住民の道徳性について、さほど良い印象は持てないだろう。 
これは日本全体に見られる習慣ではないかもしれないし、実際、われわれが親しくしていた日本人もそうではないと言っていた。 
しかし、日本の下層階級の人々は、たいていの東洋諸国民より道徳心が高いにもかかわらず、淫(みだ)らであるのは間違いない。
【M・C・ペリー F・L・ホークス編纂 宮崎壽子監訳『ペリ-提督日本遠征記(下)』角川ソフィア文庫 304頁】 

報告書はペリーの日誌と公式書簡を中心にし、他の参加者の報告や日誌も加えて、歴史家のホークスが編纂したものです。

つまり、絵はドイツ人ですが、文章はアメリカ人が書いたものです。

公衆浴場が混浴であることについて、表現は抑えぎみですが「道徳心が高いにもかかわらず、淫らであるのは間違いない」と手厳しい見方をしています。 


ハイネ画「下田の公衆浴場」『ペリー提督日本遠征記』より(ウイキメディア・コモンズ)


清らかな素朴さ

ただ、西洋人でも旧大陸の出身者はアメリカ人とはちがった見方をしていました。

トロイア遺跡を発掘したことでよく知られているドイツ人のシュリーマンは、発掘に先立つ6年前に世界旅行に出て、慶応元年(1865)に日本を訪れています。 

横浜に上陸したシュリーマンは、飽くなき好奇心を持って、町や人々の営みを観察しました。 そこで見た光景について、このように書き残しています。 

日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。 
どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。
 (中略) 
公衆浴場は大きな部屋で、側面の壁には衣類を置くくぼみができている。 
浴室の一隅に湯を満たした大きな風呂桶が置かれ、湯は台所から導管によって引かれている。 浴場は、道路に面した側が完全に解放されている。 
名詞に男性形、女性形、中性形の区別をもたない日本語が、あたかも日常生活において実践されているかのようである。
 夜明けから日暮れまで、禁断の林檎を齧(かじ:原ルビ)る前のわれわれの先祖と同じ姿になった老若男女が、いっしょに湯をつかっている。 
彼らはそれぞれの手桶で湯を汲み、ていねいに体を洗い、また着物を身につけて出て行く。 「なんと清らかな素朴さだろう!」初めて公衆浴場の前を通り、三、四十人の全裸の男女を目にしたとき、私はこう叫んだものである。 
【ハインリッヒ・シュリーマン 石井和子訳『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫 87頁】 

くりかえしになりますが、江戸時代の日本人は人前で裸になることについて、恥ずかしいという感情はもっていませんでした。 

シュリーマンはその素朴さに感動したのです。


みだらな異教徒

しかし、ピューリタン(清教徒)を建国の祖とするアメリカ人の見方は正反対でした。 

プロテスタントの宣教師として中国で20年近く勤務し、中国語だけでなく日本語にも通じていたことから、首席通訳官としてペリー遠征隊に参加していたウィリアムズは、厳格なピューリタンらしい感想をのべています。 

私が見聞した異教徒諸国の中では、この国が一番淫らかと思われた。 
体験したところから判断すると、慎みを知らないといっても過言ではない。 
婦人たちは胸を隠そうとはしないし、歩くたびに太腿まで覗かせる。 
男は男で、前をほんの半端なぼろ(ふんどし:原注)で隠しただけで出歩き、その着装具合を別に気にもとめていない。 
裸体の姿は男女共に街頭に見られ、世間体なぞはおかまいなしに、等しく混浴の銭湯へ通っている。
【サミュエル・ウェルズ・ウィリアムズ 洞富雄訳『ペリー日本遠征随行記』講談社学術文庫 307頁】 

彼はニューヨーク生まれで、宣教師といっても教会で説教するのではなく、広東やマカオで伝道のための出版物を作成していたのですが、現場から離れているだけに、純粋に教義に従っていたのでしょう。 

そのため、混浴や、肌をあらわにしたままで町を歩く日本の庶民に我慢できなかったものと思われます。


混浴は誰もが平等な空間

いっぽうで、公衆浴場を人々が男女の差別もなく意見交換できる、すばらしい集会所だとほめる人もいました。 

前回もとりあげた、イギリスの初代駐日公使オールコックです。 

当時は西洋社会においてもまだ男女同権という考えがなかった時代ですが、日本の公衆浴場は誰もが平等な空間なので、国民の集会所として推奨にあたいするというのです。 

オールコックはこのように述べています。 

この偉大な入浴施設が世論の源泉だとすれば、――閣老たちはその実態を肯定しており、またしばしばそうであるように希求している――それは国民の議会ないし集会所(たしかにかれらに許されている唯一のものだ:原注)としての威厳を有しているわけだ。 
すなわち、その政治的・国民的な効用というものをよく考えてみると、服装の欠点その他のとっぴなことがらを大目に見ることができる。 
たしかにそれは、他のすべての議会には欠けている男女両性の権利や平等を全面的にみとめている点で推賞にあたいする。 
【オールコック著 山口光朔訳『大君の都 幕末日本滞在記(中)』岩波文庫 171頁】

同じ混浴風景を見て、アメリカ人とヨーロッパ人で評価が逆になるのは興味深いところです。

自分の価値観に固執するか、文化の違いと割り切るか‥‥。

最近は日本に来た外国人が自分たちの文化を押し付けようとしていて、「多様性」という言葉でそれを支援する日本人(かな?)もいるようですが、ブログ主としては「郷に入れば郷に従え」だと思っています。

自分たちの習慣を維持したいのなら、自分たちの国に帰ればいいだけです。

話を戻しますと、明治になって西洋諸国に追いつこうとあせった日本政府は、「明治の軽犯罪法」の回で取り上げた違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)を制定して、銭湯の混浴や道路から中が見える構造、さらには往来で肌をあらわにすることを禁止しました。 

このため、オールコックやシュリーマンが評価した「素朴かつ平等な文化」は消え去ることとなったのです。