「宇田川源流」【大河ドラマ 豊臣兄弟】 秀長が総大将となった四国攻め
「宇田川源流」【大河ドラマ 豊臣兄弟】 秀長が総大将となった四国攻め
毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」について、感想を書かせてもらっている。好き勝手に書いているので、皆さんの感想とは全く異なるのかもしれないが、その辺は私個人のブログなので、このまま好き勝手な内容を続けていゆきます。
さて、今回は「四国攻め」の場面になります。まずはその「史実」といわれる内容を見てみましょう。そもそも、秀吉を扱うドラマでは、ここは秀長が総大将なので、基本的には飛ばされてしまい、いつの間にか長曾我部元親が降伏しているとなってしまうので、この戦いをドラマ化すること自体がなかなか珍しいのではないでしょうか。
天正十三年に行われた四国攻めにおいて、長宗我部元親は土佐から急速に勢力を伸ばし、阿波や讃岐、伊予の各地を制圧して四国のほぼ全域を掌握していました。これに対し、中央で圧倒的な権力を確立しつつあった羽柴秀吉は、領有権をめぐる事前交渉が決裂したことを受けて本格的な四国征討に踏み切ります。
この大遠征の総大将を務めたのが秀吉の弟である羽柴秀長であり、副将には甥の秀次が据えられました。豊臣方は阿波へ向かう秀長の本隊に加え、讃岐方面へ進む宇喜多秀家や黒田孝高らの軍勢、さらに伊予方面から攻め込む毛利輝元や小早川隆景らの中国勢を連動させ、総勢十万を超える破格の大軍で四国を三方から同時に包囲する包囲網を敷きました。
元親側は防衛線を構築して迎え撃とうとしましたが、戦力差があまりにも絶大でした。秀長率いる本隊は阿波へ上陸すると、要衝であった木津城や一宮城を次々と攻略していきます。特に一宮城の戦いにおいて、秀長は城の兵糧や水源を断つ戦術を採り、無用な流血を抑えつつ着実に城主を追い詰め降伏させました。伊予や讃岐の戦線でも毛利勢や宇喜多勢が各地の城を攻め落としたため、元親が防衛の要と考えていた城や同盟勢力はまたたく間に潰走していきました。
元親は土佐へ引き破っての決戦も検討したとされますが、重臣たちの説得もあり、秀長の提示する条件を受け入れて降伏を決意します。約一ヶ月という短期間で戦況は決着し、長宗我部家は阿波・讃岐・伊予の三カ国を召し上げられ、本領である土佐一国のみの領有を認められることになりました。
秀長は単に武力で圧倒しただけでなく、敵の状況を冷静に見極めて無駄な消耗を避け、戦後の支配を見据えて和平交渉をまとめる極めて高い軍事・政治的手腕を発揮しました。この四国攻めの勝利によって長宗我部氏は豊臣政権の従属大名となり、秀吉による天下統一への大きな一歩が踏み出されたのです。
さてこの内容を、ドラマではどのように描いたのでしょうか。
<参考記事>
【大河ドラマ 豊臣兄弟!】第36回「姫若子と鬼若子」回想 “王道を行く天下一統”を象徴した秀吉の関白任官、秀長の四国攻め
美術展ナビ 2026.09.20
https://artexhibition.jp/topics/news/20260920-AEJ3002353/
<以上参考記事>
ドラマでは、秀吉(池松壮亮さん)が近衛前久(前野朋哉さん)の養子となり関白に就任するということと並行で行われました。ドラマの中では、そもそも「小牧長久手の戦いで、徳川家康に加勢した側が各地で放棄し、秀吉を方位する」ということがあり、その一つの戦線が長曾我部元親(磯部寛之さん)ということになります。当然に、関白になるために京都に向かわなければならない秀吉に代わり秀長(仲野太賀さん)が総大将になったということになります。
このころから「圧倒的な武力差」で相手を征服するということをしてきたのが秀吉になります。その意味では、長曾我部軍は相手にならなかったということになります。戦国大名は、一つは「メンツ」があるということもありますが、一方でこのころの戦国大名は勝ち続けている大名ばかりであるということから、自分が負けるはずがないというような過信もあったのかもしれません。そのことからかなり無謀な戦いと現代ならば思える戦いをしていたのです。
さて、その中で二つの大きなドラマがあります。一つは、秀長が何とか降伏を勧めるという方法を選択します。秀次(山田涼介さん)は相手を滅ぼすことを主張しますが、しかし、蜂須賀正勝(高橋努さん)はそんな秀長を理解し、そして、秀吉を説得に行くということを主張します。「総大将なんだから、従うのみ」と秀次を説き伏せ、そして秀吉のところに向かうのです。そして皆が武装している中で単なる平服で向かい、は「秀長は立派に戦っている。このまま見届けてくだされ」と説き伏せるのである。そのうえで、昔話をする。この時の秀吉の取り巻きにはわからない、秀吉がまだ足軽になったばかりで墨俣城を築城したころの話をするのです。記事からその時のセリフを頂戴しましょう。
「離れていても、ずっと一緒にいたかのように、互いのことがよく分かっているのが兄弟だったではないですか。わしはそれに惚れた。あの頃のように、小一郎のことが分かっているのですか?」「関白になるのか。大したものだ。だがわしとってはもっと大事なことがある。その関白がわしの惚れた男であるかどうかだ」
この「わしの惚れた男」といのは、まさに殺し文句であったのではないでしょうか。秀吉もこの言葉には負けるしかなかった。三日は待つということにしてその場を収めることになるのです。
一方、秀長は長曾我部元親の「領民を思う心」に賭けて、そして降伏させることになるということになります。長曾我部元親は、もともと「姫和子」といわれていたといわれます。幼いころは心優しく、なおかつ人を殺すことを最も恐れていたという逸話が残ります。その逸話が、父国親から家を継ぐことになってから、「鬼和子」と言われるようになっていたのです。
このドラマでは、その逸話をうまく使い、本心は姫和子のままであったのが、鬼和子のようになっていたということがドラマで使われ、その姫和子と鬼和子の違いが「女性ものの美しい服」ということになります。そしてその美しい服を着た長曾我部元親に対して秀長は「好き」という言葉で、全ての関係を表したのです。
人間の本質を見抜くということが今回のテーマであったのではないでしょうか。同時に、その本質というのは、若いころ、幼いころから変わらないという事でしょう。だから、秀吉の墨俣城の築城の時と関白になる時、一方、姫和子といわれたときと鬼和子といわれたとき、その二人の対比が、そのまま今回のテーマではなかったでしょうか。次回は、秀長の国、大和郡山城がやっと出てきます。