自分も相手も大切にする、アサーティブコミュニケーション 2026.09.26 07:56 私がまだ20代前半で、会社員として働いていた頃。同期に、とても素敵な女性がいました。ユーモラスで穏やかで、いつも一拍の余白があるような人。穏やかな眼差しと物腰。私は彼女に憧れていました。でも、彼女はただ穏やかな人ではありませんでした。職場であっても自分が思ったことや、自分はどうしたいのかを、いつもきちんと言葉にして相手に伝える人でした。はっきり自分を主張しているのに、なぜか角が立たない。相手を言い負かす感じもないし、自分が引いて我慢している感じもない。とても平和的なのに、言いたいことはちゃんと伝わっている。当時の私には、それがとても新鮮でした。あるとき彼女に聞きました。「その伝え方の秘訣って何?」そのとき教えてもらったのが、「アサーティブ」という言葉でした。「私はアサーティブ・コミュニケーションが好きだから、たぶんそれがベースにあるんだと思うよ」そんなふうに話してくれたことを覚えています。今から30年ほど前のことです。今ならSNSを開けば、誰もが自分の考えや気持ちを言葉にしています。でも、私が20代だった頃はどうだっただろう。特に女性が、「私はこう思う」「私はこうしたい」と堂々と言葉にすることには、今とは少し違う空気があったように思います。だからこそ、穏やかさを失わずに自分の意見を伝える彼女の姿が、私にはとても新鮮に映ったのでしょう。それから私は、アサーティブについて書かれた本をいろいろ読むようになりました。その中でも、今でも何度も手に取りたくなるのがパット・パルマーさんの本です。書いてあることがシンプルで、核心がとてもわかりやすい。そして私は、内容だけではなく彼女の言葉の選び方も好きです。言葉と言葉のあいだに余白があって、そこに優しい眼差しがある。自分の気持ちを大切にすることと、相手を大切にすることが、同じ場所に置かれています。そして30年近く経った今。考えてみると、私自身のコミュニケーションにも、アサーティブはゆるく残っている気がします。ヨガのレッスンでも、私はけっこうタメ口で話します。「どう? こっちのほうが楽?」「そこ、もう少しこうしてみよっか」「今どこに力入ってる?」「一回やめて、比べてみよう」こんな感じ。もちろん初めて会った人に、いきなり距離を詰めるわけではありません。でも少しずつ、先生と生徒というより、一緒に体を見ている人同士のような距離になっていくのが好きです。タメ口って、使い方によってはとても優しい。言葉の間にあった小さな壁がなくなって、質問しやすくなったり、「それ、よく分からない」と言いやすくなったりする。そして私は、この気軽さとアサーティブはけっこう相性がいいと思っています。アサーティブは、敬語かタメ口かという話ではない。自分も相手も雑に扱わないこと。私はそんなふうに捉えています。だから柔らかく話していても、必要なことはちゃんと言います。ヨガなら、「これは痛める可能性があるから、ここはやめよう」とはっきり伝えることもあります。相手の感覚を尊重する。でも、私が見えていることも伝える。反対に、私の考えを正解として押しつけない。「こうして」だけではなく、「こっちはどう?」「さっきと比べてどう感じる?」と聞いてみる。近いけれど、入り込みすぎない。柔らかいけれど、曖昧にしすぎない。そんな距離感が私は好きです。とはいえ、いつもアサーティブである必要もないと思っています。模範的になる必要もないし、「こう伝えなくちゃ」とコミュニケーションの方法論にがんじがらめになる必要もない。冗談も言うし、勢いよくしゃべる日もある。あとから「あれ、もう少し違う言い方もあったな」と思うこともあります。人生の中で必要なときに、ふっと思い出せばいい。「そういえば、こんな伝え方もあったな」その選択肢をひとつ持っているだけで、人との関わり方は少し変わると思っています。私自身も、忘れては、ときどき思い出す。そんなふうに、アサーティブとは30年近くゆるく付き合ってきました。30年前、彼女に「その秘訣は何?」と聞かなかったら、私はアサーティブという言葉に、いつ出会っていたんだろう。人から人へ、こんなふうに考え方が手渡されることがあります。あのとき彼女から受け取ったものは、30年経った今、私の本棚だけではなく、普段の何気ない会話の中にも残っています♡