あ〜ゆる暮らし2.0 五感を満たすとは
五感を満たす
この言葉を、私は活動当初からずっと大切にしてきました。
でもここ数年の中で、「満たすって、どこまでなんだろう」
ということをもっと言語化したいと考えるようになりました。
私は食事のときあまりお代わりをしません。
おいしいものほど、
「おいしい!」と思った、その最高潮でやめておきたい。
そう思うからです。
そういう意味では「誰と食べるか」も大切で
食への価値観が近くない人との食事シーンは
かなりのストレスになります。
「何を食べるか」よりも「誰と」、「どう食べるか」
これは私が、アーユルヴェーダと出会うかなり前から
大切にしている価値観でもあります。
これはアーユルヴェーダでも
消化に大きくかかわる一番大切にしているところでもあり
だから私にとってアーユルヴェーダの問うてることが
腑に落ちるしすんなり入ってくるのだと思います。
もう少し食べたい。
そう思って二つ目に手を伸ばす。
すると、おいしい。
でも、一つ目ほどではない。
もう一つ食べれば、
もっと満たされると思ったのに、
最初の感動は、少し薄れている。
その感覚を私は
何度も体感してきました。
「もっと」は、必ずしも「もっと幸せ」ではない
つまり「足る」を知った瞬間
でもあります。
今の社会では、
もっと多く、もっと大きく
もっと豊かに・・・
量を増やすことが、豊かさの証
のように見えることがあります。
でも、満たしてくれるものを追えば追うほど、
最初は鮮やかだったよろこびが薄れ、
「もっと」が「次のもっと」を呼ぶ。
私はそこによろこびの純粋さが、少しずつ濁っていくような感覚
があります。
だから、満たすことが悪いのではなく、
「どこでやめるか」を知っていること。
これが大切なのかもしれません。
コップの水も、注ぎ続ければあふれます。
だから、もっと大きな器を求めるのではなく、
自分の器には、どれくらいがちょうどいいのか。
それを知る。
「もう少し欲しい」
と思えるところで、やめておく。
その余白があるからこそ、次にまた新しいものを、
新鮮な気持ちで受け取ることができる。
豊かさとは、器を大きくし続けることではなく、
自分にとっての「最高潮」を知り、そこで味わい尽くすこと。
そして、溢れてしまったものは、惜しみなく
誰かに差し上げたり 次の人へつなぐ。
または、自然に還す。
そうやって、世の中は巡るものだし
まさに「循環」というこの世の法則に他ならない。
最近そんな風に思うのです。
「五感を満たす」という言葉も、これからは、
どれだけ満たすかではなく、
どこで満たすことをやめるか。
そんな視点から、
もう一度目の前で起きていることを
見つめてみるのもよいのでは
と思っています。
本日もお読みいただき
ありがとうございま