にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険 ~ザ・ゲーム~・第19話 『パンと灯火、あるいはババ・ヤガーの森で』
三食満足に食べられない子どもたちがこの国に溢れ返り、美術館や博物館、図書館といった文化の拠点が「金の無駄」として次々と削り取られているそうです。その一方で、政府は自らのイメージを飾り立て、虚妄の「成果」を宣伝するためだけに、年間三百五十億円を超える広報費を概算要求しています。飯を奪い、本や絵画を奪い、ペラペラな自己満足の情報だけを国民の口に押し込む。この国はいったい、何にお金を使う社会になってしまったのでしょうか? そして、そもそも人間に真に必要なものとは何だったのでしょうか。
子供の頃に読んだスラブ民話『美しいワシリーサ』の物語を、僕は最近よく思い返します。継母に苛まれ、恐ろしい人食い魔女ババ・ヤガーの棲む暗い森へ明かりを取りに行かされた幼い少女の物語です。なぜあの時、絶望的な恐怖の中にいたワシリーサは、ポケットの中に隠していたわずかなパンのくずを他者や小さな存在に分け与え、魔女の屋敷で命がけで「火の灯ったドクロ」を手に入れようとしたのでしょうか。考察するまでもありません。幼い彼女は本能的に知っていたのです。飢えを凌ぐ一片の「飯」と、暗闇を照らし出す知恵という「灯火(文化)」の二つさえ手放さなければ、どんなに理不尽で残酷な世界の中でも人間としての尊厳を失わずに生き延びられるということを。
ひるがえって、いまの僕たちの社会はどうでしょう。子どもたちの飯を削り、図書館の灯火を吹き消しながら巨大な広報費によって作られた華やかなイメージを、まるで本物の食事であるかのように貪り食う。真に必要な「飯」と「灯火」を手放し、代わりに与えられた虚妄のイメージで腹を満たしていく。その光景を眺めていると、僕はふと考えてしまいます。この森で、本当に飢えているのはいったい誰なのだろう、と。
チャーリーと一緒に晩酌のつまみを食べながら一杯やるのが僕のささやかな幸せです。チャーリーに必要なのは、政府の三百五十億円の宣伝紙でも、政治家の空疎なパフォーマンスでもありません。温かな飯と、安心して眠れる静かな部屋だけです。狂気の社会がどれほど無駄な嘘に紙幣を燃やそうと、僕は自分の足元で寝ているぬくもりという「真に必要なもの」を大切にしたいです。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。