影響力を引き受けるということ
AIに、「私がずっと逃げ続けていることを一つだけ教えてください」と聞いてみた。
返ってきた答えはひとこと。
「自分の影響力を引き受けること」
なるほど、と思った。
かつての私は、自分が引き受けられる範囲を超えて責任を背負い、それで苦しくなることが多かった。
幼い頃から親のメンタルケアを担ってきた人には、こういう回路が残っていることが多いのではないだろうか。
それは言い換えれば、人の期待に応えることで力を発揮してきた、ということでもある。
頼られると応える。
期待されると頑張る。
自分が何とかしなければ、と動く。
それが能力として育ち、仕事では成果につながることもある。
けれど影響力が大きくなるほど、身体のどこかでは「また自分を失うのではないか」という怖さも動き始める。
進みたいのに、同時に止まりたくなる。
まるで、アクセルとブレーキを同時に踏みながら進むかのように。
影響力を持つと、人から見られ、期待され、解釈され、投影される。
かつての私は、自分の言動によって人が動き始めると、そこに責任が生じる感覚がセットになっていた。
さらにAIは言う。
「あなたが恐れているのは、影響を与えることそのものより、影響力を持った状態で、それでも自分を失わずにいられるか、です」
力を出せば人が集まり、人が集まれば役割が生まれ、その役割の中で自分を失う。
私の中には、まだそんな連想が残っているらしい。
まさに、認知で「知っている」ことと、身体で「腑に落ちる」ことのはざまだ。
ちゃんと応えなければ。
期待を裏切ってはいけない。
もっと提供しなければ。
こうした適応のエネルギーは、生命力を奪う。
そうして気づけば、自分の生命よりも「影響を与える側としての自分」を維持することにエネルギーを使ってしまう。
これは長年の身体のクセのようなもの。
これまでの回路は、
力を出す → 人が集まる → 期待に応える → 役割を背負う、
それが、自分を失う、に繋がっていた。
ならば、この回路の循環を変えよう。
力を出す。
人に届く。
そのことをまず受け取る。
「うれしい。届いた」 という喜びを、ちゃんと受け取る。
そこからまた自分に戻り、次を選ぶ。
人が集まっても、その人たちに自分の方向は自分で決める。
反応を受け取りながら、次に何を差し出すかも自分で選ぶ。
これは、自分が引き受ける責任の範囲を見極める境界線でもある。
役割は、自分の力を世界に流す器にもなる。
影響力は、自分の生命が世界と循環するエネルギーにもなる。
影響力を持ち続ける土台は、力を出した後に自分へ戻れること。
受け取り、自分に戻る。
そう、とてもシンプル。
力を出したまま、自分に留まれること。
それが、影響力を引き受けるということなのかもしれない、とAIに教えてもらった気がする。