京都庭園散歩 京都御所(2019年3月)
場 所:京都市上京区京都御苑内
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日~1月4日、行事等が行われる日
拝観料:無料(入館時に手荷物検査あり)
拝観時間:3月及び9月 9:00~16:30(15:50受付終了)
4月~8月 9:00~16:00(15:20受付終了)
10月~2月 9:00~17:00(16:20受付終了)
延歴13年(794年)の平安遷都時の内裏は、現在の御所より1.7km西の千本通り沿いにあったが、現在の御所は、もと里内裏の一つであった土御門東洞院殿の場所。
土御門東洞院殿は、元弘元年(1331年)後醍醐天皇が京都を脱出したあとに、鎌倉幕府が擁立した光厳天皇が里内裏として使用。以降、明治天皇の東京行幸に至るまで約550年間使われ続けた内裏。
火災等により度重なる再建が行われているが、現在の内裏は安政2年(1855年)に、平安内裏の考証を多く取り入れて再建された寛政年度(1790年)の様式を踏襲して再建されたもの。
庭園はいずれも江戸期の作庭で、紫宸殿南庭(だんてい)と清涼殿東庭が白砂を敷いた儀式用のであり、小御所・御学問所・御常御殿等に接した庭は回遊式山水庭園です。あと坪庭が二箇所残っています。
御所は四方を築地塀(延長は東西約250m、南北約450m)で囲まれており、6ケ所に門があります。南面に健礼門、北面に朔平門、東面南寄りに建春門、西面南寄りに宜秋門、中央に清所門、北寄りに皇后門です。
南面の健礼門
北面の朔平門
東面南寄りに建春門(内側から)
西面南寄りに宜秋門、中央に清所門、北寄りに皇后門
西面中央の清所門で手荷物検査を済ませ、番号札を貰って御所内へ。
御所内案内図
入って参観者休所を過ぎると左手に出口があります。
更に右手に宜秋門の内側が見えて来ます。
左手には玄関である「御車寄(みくるまよせ)」があります。
入口を経て
進むと左手に「諸大夫の間」があります。清涼殿の西にある建物で、東から西に使用する人の身分により、「公卿の間」「殿上人の間」「諸大夫の間」の3つ分かれています。また、それぞれ部屋の障壁画の画題により「虎の間」「鶴の間」「桜の間」とも呼ばれています。
また観ることは出来ませんが、御車寄と諸大夫の間と清涼殿西側に囲まれた空間に「萩壺」と呼ばれている坪庭があります。御所にはかつて多くの坪庭が存在しましたが今は二箇所のみしか残っていません。後一つは、後述する飛香舎南の「藤壺」です。
「諸大夫の間」の南側に大正天皇の即位式の時に造られた「新御車寄」があります。
「新御車寄」の東側(右手)に紫宸殿を取り囲む回廊があり、月華門が見えます。
回廊に沿って左に曲がると、紫宸殿の南面に出、右側に建礼門、左側に承明門があります。
承明門の東と西に掖門(わきもん)があり、それぞれ「長楽門」と「永安門」と呼ばれています。
西側の永安門から入ると正面に紫宸殿と左右に右近の桜、左近の橘が見え、前面に白砂の南庭が広がります。右側には月華門と対をなす日華門が見えます。
紫宸殿は内裏の正殿で、天皇の即位、元服、立太子、節会などの最重要な公的儀式が執り行われた建物。屋根は入母屋造、檜皮葺、桁行9間・梁間3間の建物で、東西南北に廂(ひさし)を設け周囲に簀子縁(すのこえん)を巡らせています。簀子縁には高欄が設けられ正面には18段の階段があります。柱は円柱で、床は畳を敷かず拭板敷(ぬぐいいたじき)とし、天井は板を張らず化粧屋根裏となっています。柱間には「御格子(みこうし)」があり、建物の内側に跳ね上げることが出来るようになっています。
紫宸殿側から見ると正面に承明門、右に永安門と左に長楽門(閉門)、
右手(西側)に月華門と左に右掖門(閉門)(うえきもん)、
左手に日華門と左掖門(さえきもん)が見えます。
紫宸殿の左脇(西側)を通って小門を潜り清涼殿へ。
清涼殿は東を正面とした建物で、平安時代は天皇の居住の場であったが、天正期に御常御殿が造られてからは執務と儀式の場となった。建物は入母屋造、檜皮葺で、内部は紫宸殿とは異なり多くの部屋に仕切られています。構造的には身舎、廂。孫廂からなり、身舎は桁行9間、梁間2間。円柱を用い、床は板張り、天井は板を張らず化粧屋根裏としています。
清涼殿の正面は東庭と称し、紫宸殿の南庭と同じく白砂を敷いただけの空間が広がっています。2ヶ所だけに植え込みがあり、南端に「漢竹」が北側に「呉竹」(現在はホテイチク)が植えられています。
北東隅には『山海経』に描写された伝説の国の光景を描いた「荒海障子」と呼ばれている襖障子があります。
清涼殿の東側の弘廂に沿って流れる石敷きの流れを「御溝水(みかわみず)」といい、北寄りには20cmほどの落差が造られており、これを「滝口」と呼んでいます。9世紀末に清涼殿の庭を警護する蔵人所が設置され、滝口近くの回廊を詰め所としていたことから、警護に当たっていた武士のことを「滝口武者(たきぐちのむしゃ)」と呼ばれるようになりました。
平家物語における横笛との悲恋を描いた高山樗牛の『滝口入道』こと斎藤時頼もその滝口武者の一人でした。
清涼殿の北側は、御車寄から小御所(こごしょ)に至り、L字型に右に曲がって紫宸殿に繋がっている回廊があります。
紫宸殿の裏側(北側)に沿って回廊にある潜り門を通って小御所へ。
右側は紫宸殿北東部の裏側で、左側は小御所の南側側面が見えています。
左に折れると小御所の正面に出ますが、右に折れると、紫宸殿の東側に出ます。かなり広い空間が広がり、右側に紫宸殿の日華門が、左側奥(東南)に建春門が、そして左手前に春興殿が見えます。春興殿は大正天皇の即位の礼にあたり造営されたものです。
戻って小門から小御所へ。
入ると左側(西側)には小御所・蹴鞠の庭・御学問所(おがくもんしょ)が南北に一列に並んでいます。
小御所は、屋根は入母屋造・檜皮葺で、身舎は3室に分かれ、東西南北に廂が設置されています。身舎は畳敷きで格天井、廂は板葺で化粧屋根裏となっています。下段の間・中段の間・上段の間の3室それぞれの内部には、大和絵の手法で四季の風景を描いた障壁画がありました。上段には狩野永岳の「吉野の春」・中段には鶴沢探真の「富士の夏と龍田川の秋」・下段には勝山琢文の「田上川の冬」です。
しかし安政度造営の小御所は、昭和29年(1954年)に近隣で打ち上げられた花火が飛来し焼失。その時障壁画も失われ、現在のものは、登内微笑(とのうちみしょう)らによって復元されたものです。
御学問所は、屋根は入母屋造で檜皮葺で小御所と同じですが、内部は平安復古調ではなく、建具に舞良戸を用い、主たる部屋には床・棚を設けるなどしていて、書院造の意匠となっています。家康による慶長度の造営時に初めて設けられた建物で、学問や遊興の場として用いられました。内部は東西2列、各列3室の6室構成で、各室には狩野永岳・岸岱・原在照らの障壁画があります。
小御所と御学問所の前面には御池庭と呼ばれる回遊式山水庭園が広がっています。小御所側の西岸に玉石を敷き詰めた州浜を造り、大きな池には3つの中島があり、木橋2基・石橋3基が架かっています。
御学問所の北側辺りから振り返って御池庭を見た景色。
御学問所を過ぎて右に折れると、左手に御常御殿(おつねごてん)に至る門があります。
門を潜ると南から北に御常御殿・仰春(こうしゅん)・御涼所(おすずみしょ)・御花御殿が一列に並び、御花御殿の前に聴雪(ちょうせつ)という建物があります。
御常御殿の前には遺水を中心とした「御内池(ごないてい)」と呼ばれる山水庭園があり、御涼所の東側には「龍泉の庭」と呼ばれる山水庭園があります。また、聴雪の北側には明治期に作庭された「蝸牛の庭」と呼ばれる枯山水庭園があります。
御常御殿は天皇の日常生活の場として用いられた建物で、屋根は入母屋造、檜皮葺、御所内で紫宸殿と共に最大の建物です。書院造りを基調とし、前後3列に部屋を配し計15室に分かれています。内部には、狩野永岳や鶴沢探真や座田重就(さいだしげなり)などほか土佐派や円山派など多くの絵師による障壁画があります。
御常御殿の北側(左)と迎春(右)
仰春と御涼所。
仰春は孝明天皇の書見の場として建てられたもので、入母屋造・檜皮葺。南北棟の建物で、内部は10畳の南の間と変形5畳半の北の間からなっています。塩川文麟の襖絵があります。
御涼所は入母屋造・檜皮葺の東西棟の建物で、京の暑い夏を快適に過ごせるよう窓を多く開けています。内部には北が9畳の上の間、南が7畳の次の間で、上の間の西に4畳半の裏上の間があります。
御常御殿前の庭「御内庭」
御涼所東側の「龍泉の庭」
戻って御常御殿の南側を通って御三間(おみま)へ。御常御殿の南側に一対の紅梅と白梅があります。
御三間は東西棟の小さな建物で、上段・中段・下段の3室からなり、涅槃会・茅輪・七夕・盂蘭盆などの行事が行われていました。
清涼殿と小御所を繋ぐ回廊を左手に見ながら出口へ。
出口の方から振り返ると、小御所や御常御殿などの建物が見えます。
2019年03月08日撮影