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脳性麻痺ライター・著者 東谷瞳  |障害と生きる日々

21.障害があっても、不幸じゃないと言える理由

2026.09.29 00:37

「大変でしょう」

そう言われることは、少なくない。

心配してくれているのはわかる。

悪気がないことも、ちゃんと伝わってくる。

でも、その言葉に、少しだけ違和感を覚えることがある。

——本当に、そうなのだろうか。

たしかに、不便なことはある。

できないこともあるし、

時間がかかることもある。

思い通りにいかない場面だって、たくさんある。

それでも、「不幸か」と聞かれると、

すぐにはうなずけない。

Flowerでの話し合いの中でも、こんな言葉が何度も出てきた。

「大変だけど、不幸ではない」

その言葉には、どこか静かな実感があった。

無理に前向きになろうとしているわけでもなく、

現実を軽く見ているわけでもない。

ただ、自分の毎日を、そのまま受け止めた上で出てきた言葉のように感じた。

では、なぜそう言えるのだろうか。

一つは、「この体が当たり前だから」という感覚かもしれない。

生まれたときから、ずっと一緒にあるもの。

この体で過ごす日常が、自分にとっての基準になる。

だから、「他の状態と比べてどうか」というよりも、

「この中でどう生きているか」が大切になってくる。

また、人とのつながりも大きい。

支えてくれる人がいる。

一緒に笑える人がいる。

その存在が、日々の中で大きな意味を持つ。

「助けてもらうこと」を通して、

やさしさや温かさに気づくこともある。

それは、決して当たり前のことではない。

そしてもう一つは、「経験」かもしれない。

うまくいかなかったこと。

悩んだこと。

立ち止まったこと。

そうした一つひとつの積み重ねが、自分の中に残っていく。

その中で、少しずつ見えてくるものがある。

人の気持ちに気づけるようになったり、

小さなことに喜びを感じられるようになったり。

もし違う人生だったら、気づかなかったかもしれない感覚。

それが、自分を支えていることもある。

もちろん、「だからよかった」と簡単に言えるものではない。

つらいことがあるのも事実だし、

「なぜ自分が」と思うこともある。

「得したこと」だけではなく、「しんどさ」も確かにある。

それでも、「不幸ではない」と言える理由は、

その両方を抱えながら生きているからなのかもしれない。

良いことだけでもなく、悪いことだけでもない。

その間で揺れながら、それでも毎日を過ごしている。

その積み重ねの中に、自分なりの意味が生まれていく。

幸せかどうかは、誰かが決めるものではない。

外から見て判断できるものでもない。

その人自身が、どう感じているか。

それが、すべてなのだと思う。

障害があるから不幸、

障害があるから特別に幸せ。

どちらでもない。

ただ、その人の人生が、そこにある。

そう考えたとき、

「障害があっても、不幸じゃない」という言葉は、

少しだけ自然に聞こえてくるのかもしれない。