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日英同時通訳者 古賀朋子 English-Japanese Interpreter Tomoko Koga

もしこの人がXX語を話したら

2026.10.05 01:00

先日、仕事で長くお付き合いのある方と食事をしていたとき、通訳についてとても嬉しいことを言っていただいた。私の通訳を聞いていると、「通訳を聞いている」という感じがせず、私が普通に話しているように感じることがある、という趣旨。


もちろん褒め言葉として言ってくださったのだと理解したし、これは通訳者としてとても嬉しい言葉だった。しかも、仕事柄たくさんの通訳を聞いてきた方で、私が本当に信頼している方でもあるのでなおさら。


改めてなぜそんなに嬉しかったのかをじっくりと考えてみると、自分が通訳するときに意識していることと、とても近かったからだと思う。私は例えば英語から日本語に通訳するとき、「この英語をどう日本語に訳そう」と考えるというより、「この人がもし日本語を話せたとしたら、どういうふうに話すだろう」と考えているような気がする。


論理的で端的に話す人なら、その感じを日本語でも残したい。くだけた話し方をする人なら、日本語もそれに合わせたい。慎重に言葉を選んでいる人なら、その慎重さも伝えたい。話し手の言葉を何でも「きれいな日本語」に整えてしまえばいいわけでもない。(とはいえ、原文があまりにぐちゃぐちゃになっている場合、訳として意味が通るように文を整えざるを得ない時はあるのだけれど)


通訳をしているときの感覚を、あえて表現するなら、「イタコ」に近いのだと思う。「あえて」と言ってはみたが、実は私は通訳を始めて以来ずっとイタコのつもりである。


もちろん、実際に日本語を話しているのは私であり、私の頭を通して言葉を選び、私の口から出てくる以上、そこから私という人間の要素を完全になくすことはできない。でも、「自分ならどう言うか」を話したいわけでは決してない。


「この人が日本語を話せたら、きっとこう話すだろう」


できるだけそこに近づきたいと思っている。そう考えると、「通訳を聞いている感じがしない」「普通にあなたが話しているように聞こえる」という言葉は、少し不思議でもある。


聞いている人には、私自身が自然に話しているように聞こえる。でも、話している私自身は、できるだけ「私」を前に出さず、目の前の話し手になったつもりで話している。その結果として、「通訳を聞いている感じがしない」と感じてもらえたのだとしたら、通訳者としてこんなに嬉しいことはない。


自分の通訳が人にどう聞こえているのかは、自分ではなかなか分からない部分も大きい。だからこそ、今回いただいた言葉はとても嬉しく、心に残った。


これからも、話し手がもし日本語(英語)を話したならこう話すだろう、と思える日本語(英語)を、その人に代わって届けられる通訳者であり続けたいと思う。