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脳性麻痺ライター・著者 東谷瞳  |障害と生きる日々

22.「得したことがある」と言える人生

2026.10.05 22:02

「障害に触れて、得したことってある?」

そんな問いを投げかけられたとき、

すぐに答えられなかった。

得したこと。

そう言われると、どこか引っかかる。

不便なこともあるし、

つらい経験もしてきた。

できなかったこと、あきらめたこともある。

それでも、「得した」と言えるのだろうか。

Flowerの中で、このテーマについて話し合ったとき、

いろいろな意見が出た。

「たくさんの人に出会えたこと」

「人のやさしさに気づけたこと」

「一人にならない感覚があること」

最初は少し意外にも感じた。

でも、その一つひとつの言葉には、

その人が歩いてきた時間がにじんでいた。

たとえば、何気ない会話の中で生まれたつながり。

見知らぬ人から声をかけられた経験。

誰かと一緒に笑った記憶。

そうした出来事は、小さなものかもしれない。

でも、それが積み重なって、

その人の中に残っていく。

また、こんな意見もあった。

「つらい経験をしてきた分、心は強くなったと思う」

その言葉は、無理に前向きになろうとしているようには聞こえなかった。

むしろ、これまでの時間をそのまま受け止めた上で、

そこから見えてきたものを静かに言葉にしているようだった。

もちろん、「得したことがある」と言うことに抵抗を感じる人もいる。

「そんなふうに思えない」

「今はまだ、そこまで考えられない」

それも、とても自然なことだと思う。

無理に意味を見つけようとしなくてもいい。

すぐに答えが出なくてもいい。

でも、時間がたったとき、

ふと振り返ったときに、

「あの経験があったから、今があるのかもしれない」

そう思える瞬間が、訪れることもある。

それは、大きな出来事ではないかもしれない。

ほんのささやかな気づきかもしれない。

でも、その気づきがあることで、

これまでの出来事の見え方が少し変わる。

「つらかったこと」だけで終わらずに、

そこにもう一つの意味が重なる。

「得したことがある」と言える人生。

それは、すべてがうまくいった人生という意味ではない。

むしろ、思い通りにいかなかったことや、

悩んだ時間も含めて、

「それでも、何かが残った」と思える人生なのかもしれない。

何を得たと感じるかは、人それぞれ違う。

でも、その人にしか見えない価値が、

確かにそこにある。

そう考えたとき、

人生は少しだけ、やわらかく見えてくる。

すぐにそう思えなくてもいい。

でも、いつかどこかで、

「得したことがある」と言える瞬間が訪れるとしたら。

その可能性を、どこかで信じていてもいいのかもしれない。