にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険 ~ザ・ゲーム~・第21話 『肖像、あるいは目に見えない魂の揺らぎ』
国立新美術館の静謐な空間で『ルーヴル美術館展』の肖像画と向き合いながら、僕は「世界を見る」ということの本当の意味を考えていました。かつてルネサンス期の人々が果たした偉大な転換とは、単に神の領域から「人間中心主義」へ移行したことにとどまりません。それは、それまで国家や宗教という巨大な枠組みの中に埋もれていた「一人の人間」へ静かに視線を注ぎ、世界を見る眼差しそのものを根本から変えたパラダイムシフトだったのでしょう。
展示室に並ぶ肖像芸術の隆盛を辿ると、絵画が単なる外見の写し(コピー)から、その人物の内面に潜む複雑な感情や、二度と代わりのきかない個性を写し出すものへと深まりをみせていく過程がよくわかります。レオナルド・ダ・ヴィンチが試みたのも、目に見える輪郭をなぞることではなく、目に見えない魂の揺らぎを「見る」ことにほかなりません。
ひるがえって、現代の政治や権力構造はどうでしょう? 彼らは文化や教育を切り捨て、スクラップ&ビルドの名のもとに街や歴史を壊しながら、市民を一人の人間としてではなく、管理とプロパガンダの対象である「記号」や「数値」としてしか見ていません。個人の内面や生の重みを軽視する壊れた政治の姿は、せっかくルネサンスが切り開いた「一人の人間を見る眼差し」から、再び遠ざかっているかのようです。
国家やAIという巨大なシステムがどれほど人間を匿名性の海に没させようと、僕たちが個の尊厳を取り戻すための再生(ルネサンス)は、目の前にいる「一人の存在」を深く凝視することから始まります。絵画が目に見えない感情を描き出したように、僕たちもまた、効率や情報で加工された世界を剥ぎ取り、その人の悲しみや歓喜という目に見えないリアルを確かめなければならないのではないでしょうか。
美術館からの帰り道、自宅のドアを開けると、チャーリーが静かに僕を出迎えてくれました。
僕がソファに腰を下ろすと、紺碧の瞳と視線が合います。彼はただの「猫」という記号でも、アルゴリズムが分類するデータでもありません。複雑な感情と気まぐれな意志を持った、かけがえのない存在です。巨大な社会の狂騒に抗い、僕たちの手で真の再生を引き寄せるために、今夜も僕は膝の上の「たった一つの命」を愛おしく見つめ、静かにグラスを傾けます。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。