ポータブルDVDプレイヤーの購入
大学の授業やカルチャーセンターの講座で、映画や演劇のDVD(内容はもっぱらギリシア神話関連のもの)をよく使う。「使う」というのは、もう少し具体的にいうと、「時間のことを計算に入れたうえで、自身の授業内・講座内の解説とリンクしている場面だけを見せる」ということである。つまり何をいいたいのかといえば、DVDを「使う」ときには、毎回かなり入念に準備をしておかなければならないのだ。行き当たりばったりで特定の部分を見せたとしても、まず時間が中途半端になるのは間違いなく、内容についても、こちらの話と無関係な場面だとしたら、見ている側は混乱するだけである。このような事態を防ぐためには、事前に何度も―それこそ演者の所作や台詞を暗記してしまうくらいまで―DVDを見ておく必要があるのだ。
今日、そんな準備作業のお供となる「ポータブルDVDプレイヤー」なるものを購入したのだが、これは大満足の買い物だった。じつは昨日まではノートパソコンを使って再生していたのだが、これはとてつもなくストレスフルなものだった。まず、そのパソコン本体は、薄型でDVD(もしくは類似のディスク類)の挿入口などなく、外付けの再生機器を取り付ける必要があったため、机の上の作業スペースの問題が生じてしまっていたのだ。作業のときには、毎回テクストやら翻訳書やら研究書やらを机のあちこちに置く必要が出てくる(僕と同じ文学研究者の方ならば気持ちがわかるだろう)ため、一定のスペースをDVD再生機器が占拠するのはどうしても嫌だったわけだ。そしてもうひとつ、作業効率がなかなか上がらない、という問題もあった。たとえば、DVDのある場面に関連するプリントをWordで作る(こういうことは非常に多い)というとき、パソコンの画面はひとつしかない以上、DVDの再生と文書の作成を「行ったり来たり」で進めることを強いられ、結果どうしても時間がかかってしまうわけだ。加えて、一時停止や巻き戻しをパソコンのタッチパッドで行わなければならなかったのも苦痛だった。1回や2回なら問題ないのだが、準備のときには、同じ場面を確認のため何度も見るということがざらにあるので、そのたびに指を動かすのはなかなか辛かったのだ。
今回購入したDVDプレイヤーは、上記の2つの問題―物理的な問題と作業効率の問題―を同時に解消するもので、これは「革命的」なものだと(ひとりで勝手に)感じている。作業スペースの問題のほうは、結局このプレイヤーを机の上に置くわけだからこれまでと同じではないかと思われるかもしれないが、ノートパソコン用の外付け再生機器を置くのとはわけが違うので、これはOKとみなしたい。それより重要な変化は、作業効率が格段に上がった、ということだ。これまでのように、パソコンのひとつの画面でDVD再生とWord文書作成を行う必要がなくなったというのは、本当にすごいことなのだ。DVDを再生しながら文書を作ることができたり、リモコンでスムーズに一時停止や巻き戻しをしながら文書の質をあげる(=表現の手直しをする)ことができたりするのは、もはや感動的といえるレベルである。
僕にとってはなかなか高い買い物だった(なのでこれまでなかなか決心できずにいた)が、これでDVDの準備に伴う精神的負担が一気に軽減されたので、本当に満足している。ド級の機械音痴の僕だが、「文明の利器」というのは、まさにこういうときに使う表現なのだと感じている次第である。