「登れた!」の中にあるAI時代を生きる力
AI時代を迎えた今、子どもたちにとってますます大切になるのは、正しい答えを覚えることだけではなく、自ら問いを見つけ、身体を通して考え、試行錯誤しながら答えに近づいていく力ではないかと、私は考えています。
AIは、膨大なデータから規則や特徴を学び、私たちの質問に対して、驚くほど的確な答えを示してくれます。使い始めると、まだ十分に学んでいないことまで理解したような感覚になるほどです。
しかし、AIが示す答えの中には、どうしても含まれないものがあります。
それは、自分の身体を動かし、迷い、失敗し、それでも考え続けた末に、ようやく答えへたどり着くという「生きた過程」です。
私は岡山理科大学で建築学を教えています。大学では、建築をつくるために必要な知識や技術を学生に伝えています。これからは、そうした知識を教える役割の一部を、AIが担うようになるでしょう。
だからこそ私は、人間にしかできない教育が、これまで以上に重要になると考えています。
学生と共に社会の中へ入り、そこに暮らす当事者として問題を見つけること。その問題に向き合い、自分の頭で考え、試し、周囲の人と関わりながら解決していくこと。建築を通して、そうした力を育てることが、これからの私の大切な役割だと思っています。
人が建築に住まい、まちの中で誰かと共に生きる限り、この力が不要になることはありません。そして、この力は、完成された答えを受け取るだけでは育ちにくいものです。
しろいろ森のようちえんが大切にしている「こども中心の遊び」は、その根っこを、日々の体験の中で育んでくれているように感じます。
私の娘は、しろ森で「木のぼり名人」と呼ばれているそうです。慎重で、少し怖がりな娘からは、家庭にいるだけではなかなか想像できなかった一面です。
ときどき、私の前でも木に登って見せてくれます。その様子をよく観察していると、娘が登りながら、何やら小さな声で独り言をつぶやいていることに気づきました。
「ここに手をかけて……」
「これはだめだ。次は……」
どこに手を置けば落ちないのか。
どの枝に足をかければ、もう少し高く登れるのか。
娘は、自分の身体で確かめながら、必死に考え、何度も試していました。
大人が登り方を教えたわけではありません。正解を先に示したわけでもありません。目の前の木と自分の身体との間に生まれた問いに、娘自身が向き合っていたのです。
やがて娘は、木の上から私を見下ろし、目を輝かせて言いました。
「登れた!」
その姿を見たとき、この一言こそが、迷い、考え、試し続けた「生きた過程」の末に見つけた、かけがえのない答えなのだと感じました。
大人から見れば、ただの木登りかもしれません。けれど、その中には、自ら問いを見つける力、失敗しても方法を変える力、自分の身体を信じる力、そして、やり遂げた自分を誇らしく思う心が詰まっています。
AIが多くの答えを瞬時に示してくれる時代だからこそ、子どもたちには、自分だけの問いを見つけ、生き生きと尋ね続けてほしい。
しろ森の中には、そのための時間があります。
自分で選び、自分で試し、自分の力で「できた」に出会う時間があります。
その先に待っているのは、答えを知っただけでは得られない、心からの感動です。
木の上で輝いていた娘の目が、そのことを私に教えてくれました。
岡山理科大学 工学部 建築学科 准教授
馬淵大宇