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粋なカエサル

「生きるとは」1 島崎藤村『春』①青木(北村透谷)

2019.03.25 00:32

 先週の火曜日に講演会「ユリウス・カエサルとリーダーの条件」を終えて疲労感と虚脱感。しばらくしてここ数年間懸案だった部屋の整理を行ってきた。そのなかで教育学部時代(30年以上前)に書いた文章を読みかえしながら、当時と今の自分の興味・関心、問題意識に大きな違いのないことを実感した。これからの人生で自分が何をなすべきかを改めて整理するためにも少し立ちどまって考えたくなった。まずは、島崎藤村『春』について。

 青木(北村透谷がモデル)は、結婚する前は「恋愛は人生の秘鑰(ひやく、秘密を解く鍵のこと)である。恋愛あって後に人生がある。恋愛を抜き去った日には人生何の色も味もない」と言い、恋愛至上主義とも言える思想をもっていたが、結婚生活の現実は彼に大きな失望を与える。彼は自分の思索活動にとって家庭というものが重荷になってくる。

「これまでこらえてきたことを一切打破しよう。妻に対することも、妻の家に対することも、自分の家に対することも、事業に対することも、すべての事に彼は忍耐持久の精神を破ろうと考えた。自分の好むことより外には何事もなすまいと考えた。自分の独立—―そのためには愛をも犠牲にすべし、と考えた。最後は三界乞食の境界におちいる覚悟があればそれでいい。」

 しかし、妻子を実家の方に預けて、当分別々に暮らしてみようという計画は流れてしまう。そして彼は、家庭に束縛されている自分をあざけり笑いながら、彼のことを「なぜそう面白くないのだろう。なぜこのまま家庭を楽しむという気になれないのだろう」と考える妻との生活を続けていく。しかし彼の心は、暗く重苦しい。若い友人には

「なんでも、一度破って出たところをまた破って出るんだね—―つまり破り破りして進んでいくのが大切だよ」

「破壊!破壊!破壊して見たら、あるいは新しいものが生まれるかもしれない。」

と言っていたが、やがて

「人間の力には限りがあるね—―僕は世を破るつもりでいて、かえって自分の心を破ってしまった。非常にそれが残念だ。」

 と言うようになる。生きる力も次第にうせていく。しかし、なんとか生きる力を回復させようとして、宗教にたよろうとしたり女郎通いをしたりするが余計に荒れ廃れるばかり。そして、ついにこんな状態にまでなってしまう。

「彼は『自分』というものにすら長いこと欺かれていたと考えるようになった。親も、友達も、妻も、子も—―いやそういう彼自身すら既にもう一種の幻影ではないか、こう疑うような精神の状態にいるのである。」

 そして、ついに彼は自ら命を絶つのである。

 島崎藤村はこの小説『春』の主題いついてこう言っている。

「『春』と言うのは・・・・『理想の春』と『芸術の春』と『人生の春』と、この三つを含むので、まず『理想の春』にあざむかれて死ぬ青年を書き、次に『芸術の春』を求めて失敗する青年を書き、最後に『人生の春』に到達した青年を書こうと思うのである。」

 また三好行雄は、『春』を書く藤村のモチーフをおそらく次のようなものだったろうと言っている。

「(すでに青春を遠い記憶とする37歳の藤村が)さまざまな友人と過ごした情熱の日々を回想しながら、そこから歩みだしてここまできた現在の自己のありよう――いささかの倦怠と無為の思いを消しえない自己への感慨をそこに重ねてみずからをかくあらしめたものを探りながら〈生〉の根拠を確認すること」

 (島崎藤村『春』)新潮文庫の表紙

(北村透谷)