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キャンピングカーで日本一周

3月17日 大崎町→志布志市市内散策→宮崎県日南市(59km)①

2019.03.25 08:16


このところ晴天が続いている。


今日は、鹿児島県周遊の旅、最後の一日。

 

晩には宮崎県入りとなる予定。



まずは、ここ大崎町から車で10分ほどの、鹿児島県志布志市へと向かうことに。




志布志



そこは、我々夫婦にとって、特別な意味を持つ場所なのであった。



理由は、志布志市の発音にある。



ローマ字綴りでは「shibushi」であるが、中国生活が長かった我々にとって、この綴りを見るとまず思い浮かべるのは中国語なのだ。


“是不是?”(shi bu shi ?)


これは、文頭や文末に置き、「そうですか?」と相手に尋ねる時に使う。


基本中の基本の文法項目だ。


そして中国語の発音では、「shi」は「巻き舌音」で舌をしっかりと巻いて発音する。


これが脳を刺激する気持ちの良い発音なので、志布志の日本語発音shibushiをわざと中国語的に巻き舌で発音して、しかも以下のように疑問形にしたりすると、なかなか心地よい。


“Zhe li shi bu shi shibushi?”(ここは、志布志ですか?)


例えば、以下のような例文はどうだろうか。



「ここは、志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所ですか?」


“Zhe li shi bu shi shibushi shi shibushi ding shibushi de shibushi shizhengfu shibushi zhisuo?”



「shi」の発音でしっかりと舌を巻くと、脳に強いアルファ波が発生するのではないだろうか。


中国語の発音から離れても、志布志の地名は、単純に「眼で見て面白い」。



市役所支所の看板など、その面白さを当事者が自覚して、わざと前面に出していることが分かる。




というわけで、我々にとってこの地は、何の知識は無くとも、九州の地図上に燦然と輝くスポットなのであった。



さて、前置きが長くなったが、一行は、いよいよ志布志市へ。



国道220号に沿って大型店舗が立ち並ぶ、今や何処にでもある地方都市の、ごくごく当たり前の街並みが続く。



手元にある「志布志まち歩きマップ」には、志布志駅から それほど遠くないところに「密貿易屋敷跡」という怪しげなポイントがあった。



ということで、手始めにそのランドマークを目指すことに。


近くにあるお寺の駐車場が広かったので、しばし駐車させていただく。



駐車場の向かいで、漂泊の俳人・種田山頭火の句碑を発見‼︎


これは「秋の空高く 巡査に叱られた」という自由律の句である。


今流行りの「チコちゃんに叱られた」訳ではない。



説明によると、山頭火は昭和5年の秋に、この地に2泊して街中を行乞した。


その際、46の句を詠んだという。


彼は、若い巡査に「托鉢なら托鉢らしく正々堂々とやりたまえ」と注意されたことを理由に、感傷的

な気分になり、この日の行乞をやめてしまったという。


このことが原因だったのか、鹿児島県内では志布志のみの滞在で帰路に着いたとのことだ。



二日しかいなかった割には、志布志市の山頭火押しが半端ない。



さて、我々が目指すは密貿易屋敷跡


何度も行ったり来たりして探してみるが、それらしい建物は見当たらず。


ネットで検索してみると、これではないか? と思われる建物が目の前にある。




これか⁈


なんの痕跡もない、普通の昭和の香りがする民家のようにも見えるが。


これをガイドマップに載せるというのは如何なものか。


これでは、何わからないのでネットで検索してみると、


この屋敷は、元々は、志布志の幕末の商傑・中山宗五郎政潟が築いたという三階木造建の大建築で、抜荷を目的とした特異な設計となっており、のちに人々から「密貿易屋敷」と呼ばれるようになったという。



この屋敷の主要部分、東側の三階建ては、1960年に取り壊され、地下室も埋められてしまい、一部が修復され、現存しているということだ。



『志布志港の「みなと文化」ー志布志港』で、山畑 敏寛が記したレポートによると、


当時「志布志で不思議は宗五郎どんの屋敷、表二階に裏三階、中はどんどんめぐいの四階建て」と唄われており、表通りから見れば二階建て二棟続きの家であったが、裏から見れば東側の一棟は途中から三階になって、高い屋根裏を利用した三階の大部屋が 海に面して設けられ、部屋には長さ 1 間(1.8m)に近い望遠鏡が置かれていた。

二階の大廊下から三階へ行く には取り外しの出来る梯子を上がったが、梯子の途中西 側の板壁は細工された密室の引き戸になっていた。
また二棟の間にも二階の部分に部屋が あって、板壁を利用する出入口があった。 
入り口の東側の土間の下に石をたたんだ堅牢な地下石室があった。


という。



何の看板もないし、観光マップに載せるにはムリがある。



首をひねりながら、しばらく周辺を散策。


このあたりは駅から遠くない市街地であるが、ホテルや個人商店はあっても活気が感じられない。



 路地の空き地に猫の置物が。


近寄ってみると……。


本物だった。



商店街の一角には、毛むくじゃらのビルが。




このビルの裏側の川沿いの通りを歩いて行くと、宝満寺跡地がある。



島津藩による廃仏毀釈で壊されてしまった名刹である。



その荒れ果てた、放置されたままの状態に、唖然とする。


この状態のまま保存していることに、少し戸惑いを覚えてしまう。


教育委員会としては、薩摩藩内から寺院をなくしたという、その歴史遺産ということか。


この荒れ果てた状態をライトアップする新しい機材が設置されている。



敷地内にまたも山頭火の句碑があった。


「家をもたない 秋がふかくなった」