3月17日 大崎町→志布志市市内散策→宮崎県日南市(59km)②
宝満寺跡を出て、川を渡り、武家屋敷地区へと向かう。
途中に、地頭仮屋跡があり、現在は小学校となっていた。
周辺には「平川氏庭園」などいくつかの庭園があり、かつて武家屋敷が並んでいたことを彷彿とさせる石垣が巡らされている。
市街地の北東にあたるこの辺りには、内城・松尾城・高城・新城といった城跡が分布しているが、これらを総称して「志布志城」という。
我々は、そのうちの「内城」に登ってみることに。
ちょうど登り口の辺りを歩いていた男性に挨拶すると、
「この城には新納(にいろ)時久公の墓地がある。島津だけじゃないよ〜」という。
新納時久は南北朝時代の豪族であり、足利尊氏・直義に加勢し、功績によりこの地を賜ったそうだ。
さらに、登山口に置かれた城跡の地図を取り出し、地図を見ながら行き方の説明をしてくださり、登山口まで見送ってくれた。
親切な対応に感謝することしきり。
それに、鹿児島に来てからというもの、見渡す限り島津一辺倒の歴史に、多少ウンザリしかけた矢先だったので、キタキタキターと喜んで新納時久公を検索。
すると……やはりルーツは島津なのであった😔。
島津氏4代当主・島津忠宗の四男。
名前は違えども、島津の出であることに相違なし。
島津はこうして、700年近くの長きに渡り、南九州一帯を治めてきた。
中核となる城には親類縁者に守らせ、外城には地方有力者の家臣を置き、定期的に配置換えを行うことで島津家以外の地縁を断絶させていったという。
為政者としては、実に見事な政策である。
さて、城山を登り始めると、すぐ右手に「矢倉場」という開けたところがあり、その奥におじいさんが言っていた新納公の墓地がある。
といっても、これは明治期に建て直したものらしい。
そこから、さらに、杉木立の中を登っていくと、
足元に、可愛く頭を出しているワラビを発見。
さらに山道を進む。
少年探偵団になったようで、なんだか楽しい。
ここから「本丸」へ。
おじいさんと別れてから、20分もかからずに「本丸跡」に到着。
しかし、鬱蒼と茂った林の中で、展望は望めない。
しかし、一段降りたところにある「土塁跡」からは、志布志市街と港が一望できた。
大阪南港と志布志港を結ぶフェリー「さんふらわあ号」が、ちょうど入港しているところだった。
ここから坂を下ると、すぐに城の入り口へと辿り着いた。
思いがけず志布志湾も眺望出来たし、緑の中を歩くことも出来て、得した気分である。
車に戻り、次は交通の要、JR志布志駅に行ってみることに。
すると、ここにも山頭火の句碑が。
「一きれの雲もない 空のさびしさまさる」
志布志駅は、JR日南線(志布志〜南宮崎)の終着駅。
かつては、これに加えてJR志布志線(志布志〜西都城)とJR大隅線(志布志〜国分)も乗り入れていた。
今は、日南線だけが残り、志布志駅は無人駅になっている。
志布志市から今日の宿泊地である日南市へと先を急ぐ。
途中、田んぼには水が張られ、一部では早くも田植えが始まっていた。
この地方は気候が温暖だけあって、農作業の時期が早い。
今晩は、宮崎県の日南総合運動公園にて宿泊する。