結果は常に自分との戦いの先にある。
イチロー選手は、僕が中学の時にメジャーへ行った。当時野球少年だった僕は野球で大した結果を残して来なかったけど、彼の一挙手一投足とその発言は大好きだ。心から尊敬している。
飽きっぽい僕にとって野球より長く続いているのが、この仕事と、ベースを弾くこと。
中でも人生で一番続いてるのがベースを弾くことだ。なんで続いてるかというと、やっぱり好きだからだ。
好きだけど、仕事には出来なかった。まだわからないけど。今の所、音楽では食えてない。
練習をものすごくした自覚はある。ただ、練習って淡々としてる部分もあって、傍目から見たらつまらなそうに見えることもあると思う。でもベーシストとして音楽を演奏するのがとてつもなく好きだから、そのステージに立つイメージを常にしていたから、練習は、僕にとっては、とても楽しかったし、今も弾いてる。
図らずも、年2回開催されるイベントのベーシストとして起用してもらっているのは、他にも候補は居ただろうけど、運もありつつ、やっぱり続けているから掴めたチャンスでもある。
チャンスはいつ来るかわからないし、「チャンスは待つもんじゃなくて掴むもん」って言う人もいる。そう思うし、めぐり逢えたきっかけにきちんとカタチで応える為に、日々を積み重ねていくしかないと言うのは、お涙頂戴の苦労話ではなく、真理なんだと思う。
もちろん効率的に成功率を上げていく努力の仕方ってある。でもそれは試行錯誤でしか会得できない。いろんな書籍や教本があるけど、読破しても、結局は実践しないと身につかないのと同じ。
27歳の時に、色々あってボーカルをやることになって、バンドメンバーからボイストレーニングに通うよう言われた。歌い手としてはキャリアは無いし、バンドとのキャリアを埋める為に必要なことだと思い、ボイストレーニングに通った。
そこで出会った先生は、自分でも当然ライブをするアーティストで、彼が主催するイベントに歌い手として参加したこともある。
でも、その先生はなんで先生で食ってるかと言うと、結局は自分の音楽で食えてないから収入が必要なんだ。今、僕は彼と付き合いは無い。なぜかと言うと、ブログでも「一生懸命リハしてます!次のライブは最高になります!」みたいな発信しかしてないし、ライブでも、自分がどれだけストイックにやったかを言っちゃってる。そんな人がエンターテイメントできるわけない。
途中で気が付いた。『頑張ってる』ってことは人が認めること。自分で頑張ってると言うのは必ずその人の中に対比する相手がいる。そしてその人を下に見て、『自分の方がそいつらより頑張ってるから見る価値がある』と公言していること。つまり自己肯定を相対的にしている。これって成長しないよね。そこで満足しちゃってるんだから。そして、そんなこと言ってる奴のエンターテイメントなんてたかがしれてる。はっきり言って押し付けられた思想なんて誰も見たくない。音楽ってもっと楽しいもんだ。お金を払って見に来てくれた人に、「俺これだけ頑張ったからすごいでしょ!」って言うのは(そのレベルのパフォーマンスの人たちのアクトなんて)見てても全然楽しくない。
マイケルジャクソンはステージで自分の苦労話をするだろうか。ファンなら聞きたいと思うかもしれないけど、初見でそんな話をする人を、それもエンタメとして完成されきってない人の話を、誰が聞きたいんだろう。
好きなことを仕事にするのは別にいい。誰かに迷惑かけなければね。好きだからこそ出来ることもある。でも、その好きを仕事にしたら、自分で選んだ道に責任も伴う。
お金をもらって何かをするということは、好き以上に、求められることがあるということ。その求められたことに責任が伴うということ。その責任を全うする為に日々しておく努力や準備が、パフォーマンスとして実戦で認められた時に、対価としてお金をもらえるということ。
認められない世界を恨むなよ、それは認められる準備やパフォーマンスが出来てないだけだ。気付けてラッキーじゃんか、伸び代があるよ。
独りよがりでは成立しない世界だよ。春だな、新社会人。