シャトレ座のディードー
今日のカルチャーセンター(朝日カルチャーセンター中之島教室)の講座では、ベルリオーズのオペラ、《トロイアーの人々》のDVDをお見せした。用いたのは、2003年のシャトレ座での公演を収録したDVDだ(詳細については下のリンクを参照)。『アエネーイス』における「運命の犠牲者」について話をした関係で、《トロイアーの人々》のなかでも、そのテーマと深くかかわる、ディードー(スーザン・グレアム)の精神錯乱と自殺―原因はもちろんアエネーアース(グレゴリー・クンデ)との破局である―を描いたシーン(全体のクライマックスでもある第5幕第1場~第3場)を取り上げた。
西洋古典学徒として気になるのは、やはり、ディードーの死がどのように表現されるか、という点だ。これについては、このシャトレ座の公演(演出はヤニス・コッコス)では、一枚の紅色の布が用いられるのが特徴である。自決の準備を整えたディードーは、妹のアンナ―原作と異なり、彼女は姉がこれから自殺することを承知しているように見える―からこの大きな布を受け取り、舞台中央に設置された階段(このあたり、蜷川幸雄の演劇を彷彿とさせる)を上がっていく。面白いのは、ある程度高いところまで歩みを進めたディードーが、この布を下に向かって一気に広げる、ということだ。その結果、布はどうなるのかといえば、階段に沿ってうねりをつくりながら垂れ下がるのである(DVDのパッケージをよく見ると、左側にその布があるのがわかるはずだ)。そしてこの直後、ディードーは自らの腹に短剣を突き刺し、果ててしまう。
さて、この紅色の布はいったい何をあらわしているのだろうか。僕には3つの考えが浮かんだ。一つ目は、「血のイメージ」(というよりむしろ「血」そのもの)だ。仰向けに倒れたディードーのすぐ横に布が垂れ下がっているわけなので、これはかなりはっきりしている。二つ目。いくらか印象批評めいてしまうが、「怒りのイメージ」が含まれているのかもしれない。ディードーは、死の直前、「私の灰から勇敢な復讐者が生まれる」という台詞(原作を踏襲しているのはいうまでもない)とともに、ハンニバルによるローマへの復讐を祈願するのである。僕が考える「怒り」というのは、もう少し具体的にいうと、「怒りの炎」のことだ。というのも、上述のとおり紅色の布は「うねり」をつくっており、これは形の点で、力強く燃える炎に見えるからだ。三つ目も、これと同様、僕の主観的解釈なのだが、おそらく「アエネーアースへの愛のイメージ」が示されているのではないだろうか。この自決シーンに入る前、ディードーは、ローマに向けて出帆しようとするアエネーアースのことを激しく罵るのだが、このあとアエネーアースが去ったところで、彼への愛の気持ちを口にするのである。彼女は、最後の最後までアエネーアースを(憎しんでいたと同時に)愛していたようなのだ。この、(またも「炎」のごとく)消そうにも消せない感情が、紅色の布で表現されていると思われてならない。
ディードーの死は、ヨーロッパの近現代芸術(今回は紹介できなかったが、たとえば絵画表象も数多い)においてさまざまなかたちで描かれており、いわば芸術家の「腕の見せどころ」であるように思う。シャトレ座の「紅色の布」の演出は、僕は個人的には嫌いではない。