智仁勇 「三徳抄」の教え 2019.4.15
備中竹内流では、礼をする際、
三指を伸ばし三つ指を着く。
この三指は「智」「仁」「勇」を現す。その智仁勇の三徳とは何か。
その答えは三代目 竹内久吉、四代目久次が記した「三徳抄」にある。
流祖久盛は愛宕大権現を崇敬し流儀の守り神とした。愛宕神は諸悪災禍を鎮め、人の世の平安を守る神であると敬い、その教えに従い、活法、即ち人々を活かす術を創建した。戦国武将として戦った後、武術の道を極め、その武術の極意は『人を活かす道』であることを悟り、家憲とした。
二代久勝は、父の意志を守り、竹内流の精神を儒学の中から悟り、掟と兵法歌に説き、三代久吉四代久次父子は、これを三徳抄として流儀の精神とした。即ち、『智仁勇これ三徳なり』
『仁義礼智信これ五常の徳なり』
三代 目久吉は、二代 久勝の兵法歌の精神を『三徳抄』にまとめあげ,次のように著わした。儒学の経典,中庸の説に「五者天下の達道也,智 仁 勇の三は天下の達道なり,もって之を行う所の者 は一也」という文を引き,智仁勇の必 要なことを説いた。
そして竹内流を学ぶ者に対して
「智はものの理を知る事也。美しく見事なる者を好み,汚くむさき物を嫌ふ如くに真実ならば, 必ず善を好みて行い悪を憎みて嫌ひせましきも又, 心真実の智という也,生死一大事のものにて命惜しき故に天下のありとあらゆる物に何か命に換ゆべき物ありや,され共,生有る者は必ず一度死するのは昔より定める理也,と如何なる愚人も知るゆえに,いつか死なんとて,泣き悲しむ人なし,この心を万事に押し広めて合点せば疑い有るべからず」と記して,物の道理を見極め生死を顧みず,真実にもとずき生きていくように,と 説いている。
仁については 「仁は物を愛する事也,わが身を思う如くならば必ず真実にして,私 無かるべし。如何なる者も,幼き子の水に落ちんとするを見て一目も知らぬ者なれども,あわれと思うべし引上げんとすべし,されども人により放将邪見の者は,態と水へ突落す者もあれども,その者の子ならば左様にすべからず,もし怒りによりて, 我が子なれども殺すこともあり。~中略~しかれば仁というものは如何なる人にも悉く皆,そ の心に有るもの也。この心を広くせば物事に私無く怨みも無かるべし,我身良かれと思う如く,人に及ぼさば何の怨み有らんや,又物を活かすは仁也, 悪を除くは義也賜と記し,人や物を私心無く愛 する事をいっていた。
勇に関しては 「勇は心の強き,義にか ないてするを言うなり,善を見て速や かにするは勇なり,良き事と知りながらも,せんかせまいかと躊躇して怠るは勇にあらず,又敵に向かいて死なんと知りて戦うは兼ねてその心あるゆえ也,何 事無と知りつつ暗き所へ夜行とき恐る る心あるは惑へる也,もし何事か有らん時にすべき様を兼て心に持ちなば恐るべか らず」と記し善と知ったら躊躇せずに行う心を言ったものである。
このように,竹内流では修行者に 「掟」や 「兵法歌」,「三徳抄」 を徹底させることにより,修行時の心構えや 「智仁勇」の精神を持った人間を育てようとしたのである。こうした精神的教化により,竹内流は長きにわたり存続してきた。
池内雅門太改め、9代目竹内久居は、4代目竹内久次が1701年(元禄14年)に著した三徳抄を1840年頃に写本し、その内容を後進に示してくれたのである。