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東京 竹内流備中伝 Tokyo takenouchi ryu Bitchuden

備中竹内流 愛宕神 薬師如来のご真言 31.4.1

2019.03.31 23:00

竹内流は愛宕神を祀る。

それは、竹内流の流祖、竹内中務大夫久盛が久米郡垪和郷の三宮山中に籠って武術の修行を重ねている際、愛宕神の化身である山伏から相手を瞬時に膝下に組敷く極意を授かり竹内流を起流したと伝えられているからである。

この天授の時期が天文元年(1532)六月二十四日。久盛は数え年で30歳であった。

 『竹内家系書古語伝』によると、

「つとめて幼にして勇壮あり剣を好む。善く其道に通ずと雖も自ら以って足らずとす。時に天文元壬辰六月,愛宕神を信じて日に三度浴斎し,西塀和(にしはが)三之宮に参籠して深く神を拝し、鍛誠を抄(抽)んで,二尺四寸の木刀をもって大樹を打ちて飛跳し,六日六夜,精心労倦し,覚えず木剣を枕として臥す。則今日水無月の四日子の一天に忽然として何くともなく白髪の山伏来り真の名を呼ぶ。眼を開き其形貌みるに暴猛として其長七尺余。寔に味知王計神の荒芒たるがごとし。つくずく視て日、妖魅豈吾を犯さんや,客晒日,情心賢固也。自ら一術を示さん。久盛木刀を取て撃つ。客踵を廻らさずして膝下にしく。愕然としなが ら再戦を乞い闘争をよぶと雖ども,客無刀にしてそれに応ずることはほとんど人にあらず。追伏せられ叩頭して罪を謝し(中略),兵法の蕩奥を授けんことを乞ふ。客の曰く、凡そ敵にむかい速やかに殺生降伏を成疾せしむ、これを兵法と謂う。今其一術を示さんと,即ち彼木剣を取て長きに益無しと之を二つに切りて小刀となし,之を携えて日く, 之を帯せば小具足也。今小刀を小具足と云事蓋し是より言ふのみ。神伝悉く之を得、亦葛藟を取り、武者搦を教え、其長さ七尺五寸、之を早縄と号す。(後略)。

系書古語伝記

(注)『系書古語伝』(江戸後期の編纂と考えられる)よりも古い『作陽史』(元禄年間に津山藩森家臣の長尾勝明が編纂)には「木刀を二つに切りて」のくだりは「(客)樒柯(しきみの枝)をかり木刀となす。長さ一尺二寸」と記されている。

久盛は山伏より授かった「捕手五件」,「腰之廻二十五条」を基に,竹内流腰之廻という流派を作ったのである。


竹内流においても備中竹内流において「腰之廻二十五カ条」は「捕手五件」と共に原点となる。「捕手五件」は武器を持つ敵を徒手で制する術、「腰之廻」は小刀(脇差)又は腰刀を持ちいて、相手を制する技法といえる。この「腰之廻二十五ケ条」の形が流儀の武術全般の骨格を形成しているため、この小具足腰之廻の習得なくしては、(備中)竹内流を学んだとは云えないほど重要なものになる。


 流祖竹内久盛が太刀を両手で扱う剣術を基に、小太刀を片手で扱う小具足腰之廻の術を学んだことから、空いた手で、打つ、つかむ、極めるといった手技が発達した。これを元に三代久吉が捕手・破手の体系を整備し(他流では柔術や柔(和)とも呼ばれる)体術も別に稽古することになった。こうしたことから「小具足腰之廻之術」が柔の源流となったといわれる。

 このように、小具足腰之廻の型が柔術や柔道の源流となる一方で、備中竹内流では小具足腰之廻の型を変わることなく現代まで伝承し、相手が得物を持った場合の攻防のありさまを往時のまま伝えており、この古伝の形を稽古することにより500年近い歳月を経た現在でも流儀の真髄、根幹に触れることができる。

竹内久盛が深く信仰した愛宕神とは何かと言うと。


「抑愛宕神と申すは、それ太郎坊二十八天狗、本神勝軍地蔵大権現、当体(〘仏語〙 ありのままの本性。② 目前のありさま)は薬師如来、宝瓶は十一面の観音、形は普賢菩薩(後略)」(出典「愛宕神祭文」)とある。

愛宕神祭文

太郎坊天狗

勝軍地蔵大権現

薬師如来

薬師如来は東方の瑠璃光浄土の仏である。羽黒修験には阿弥陀如来は夕方の太陽、薬師如来は朝の太陽という口伝がある。葉山の奥ノ院と月山山頂を結ぶ直線は、まさに朝日の薬師と夕日の阿弥陀如来の関係となっている。

普賢菩薩

阿弥陀如来が死後の来世の平穏を司る仏であるのに対して、薬師如来は現世での苦しみを取り除き安泰を司る仏といわれています。


備中竹内流では、大日如来のご真言の他にも、


その薬師如来のご真言である

オン コロコロ

センダギマトウギソワカ


を唱え、


天狗のご真言である

オン アロマヤテングスマンキソワカ


なども唱える。

流祖に繋がり、山伏に繋がり、

宇宙に繋がることを祈念しつつ

稽古するために。




「悪事災難火災剣災風,七難八苦を祓いたまう。立て願えば立間に利勝,座て願ひは居る間に利勝と御叶ひ成れるとのこ請願,大権現の御神力をもっ

てはらひ給ふ)」と記され諸悪災禍を沈め, 人の世の平安を守る神であったといえる。一ノ瀬城主であった久盛は愛宕神を崇拝することにより, 領内庶民の災禍を鎮め,平安を守ろうとしたので あった。