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MIMIビデオ

ビデオ黎明期とミミビデオのおはなし

2019.03.28 02:23

1982年『洗濯屋ケンちゃん』という高画質で画期的な裏ビデオが発売された。一節には13万本が流通し12億円の売上があったとされる。(週刊ポスト2012年11月16日号)

1980年当時、国内のビデオデッキの普及率は1%。洗濯屋ケンちゃんは、町の電気屋さんが、当時20~30万円のビデオデッキの販売する時に、オマケとして配布していたのでる。日本国民の皆がお巡りさんにバレないように共犯者となって空前の裏ビデオブームが起こった。この事件は、その後の日本のビデオ文化の幕開けにおいて大きな意味を持ったのではないだろうか。

私もありがたいことに、当時この「ケンちゃん」を見る事ができたが、とても噂に聞いた高画質とは程遠く、5回はダビングしたであろう残念な代物であった。そう振り返るとダビングによるコピーの増殖度は、貞子の呪いのビデオなんて比ではなかった。きっと「ケンちゃん」は一千万人単位で日本国内の殿方に呪いをかけたのではないだろうか。

そんな影響もあり1983年頃より、一家に一台ビデオデッキが普及し始める。富裕層を中心に日本国民はビデオデッキを購入し、テレビドラマやゴールデン洋画劇場を録画するという豊かさを手に入れた。


そして本格的にビデオのマーケットが瞬く間に形成されていくのは1984~85年にかけての事である。

映画ライターの殿井君人氏にこっそりいただいた陽の目を見ることの無い貴重な調査資料によると、1984年がビデオバブル期の幕開けであった事がわかる。

1984年はCIC、ポニー、VAP、松竹、RCA・コロムビア、東宝、ワーナーホーム・ビデオ、CBSソニー、パイオニア、ビクター、EMOTION、フジビデオ、エンバシー、SHOWA、ベストロン、キング、東芝映像ソフトetcが参入し同年後半より未公開のファンタ系ビデオが出始める。


そして1985年。ようやくMIMIが産声をあげる。同年1月にMIMIビデオは一気に10作品・完全フリー・レンタルシステムでリリースを開始した。

MIMIのレーベルを立ち上げた仲雅美氏は、一世を風靡したアイドル歌手・俳優であった。今でも現役で活躍されているので、是非ググっていただきたい。仲氏は、アイドル期を過ぎ俳優業に勤しんでいたが、当時腰痛に悩んでいた事と、浮き沈みの激しい芸能界に将来の疑問を感じた為、家族と相談の上、実業家に転身。本気で「良質の未公開作品をお届けしたい」という熱い想いと野望を抱き、誰も観たことの無い国内では未明な作品を観まくり、また海外を飛び回り版権を買い付け、昼夜なくビジネスに没頭したのである。

MIMIは生産工場を抱えVHSの他ベータも生産した。販売に関しては、当時メーカー側は色んなタイトルを抱き合わせで期間レンタルする等の方式を取っていたが、MIMIビデオは、お店側で買い取ったソフトは、売ろうが捨てようが自由に使って良いとう契約をして販売をした。このシステムはかなり画期的であったようだ。だからこそ、後に多くのミミビデオのソフトが早期に中古ワゴンに並ぶ事となったのではないだろうか。誰も借りずに回転しなった事もあるとは思いますが(ボソッ…)


ちなみにMIMIビデオは、発売当時は1作品1,000本単位で出荷。一番売れたのは「フレッシュゴードン」(5,000本?)だという。しかし最後の品番あたりは200本程度のリリースで留まってしまったらしい。

その後も多くの聞いたことの無い会社が続々とビデオ業界に参入。急速なビデオデッキの普及に伴い、需要と供給のバランスから、町のあちこちにレンタルビデオ屋が乱立し新たなマーケットが生まれた。そして全国の映画好きな方(もしくはビデオのお蔭で映画好きになった方)達は、ビデオをレンタル鑑賞するという事に時間とお金を消費した。

その様な時代、TSUTAYAのような大手レンタルチェーン店よりも、個人が経営するお店の方が多かったのではないだろうか。一節には当時レンタルビデオ店は1万店を超える店舗数と言われており、これは当時の全国のハンバーガーショップの倍にあたる数である。

オープンしたレンタル店は、お店の棚をビデオで埋め尽くさないとならない為、とりあえず片っ端からビデオを仕入れる事となる。必然的に、客を取り込む為、新しいソフトを仕入れ、回転の悪いソフトは店頭で処分品として安価で販売をする事となった。そんな店頭ワゴンセールの棚の中にキラリと光る孤高のビデオメーカー「MIMI」の商品が捨て猫のごとく、みゃみゃーと泣いていたのである。余談であるがミミとは、社長の仲家の愛猫の名前からとったそうである。何と微笑ましいエピソードであろうか。


90年代に入りレンタルショップのワゴンセール以外にも、ビデオ安売り王(92年)を筆頭に、中古ビデオ販売店も多く出店されるようになった。リサイクルチェーンのブックオフ等も、ビデオソフトを中古販売するようになってきた。

中古でソフトを買えば返却の必要もなく、安いから1本買ってみるかという軽い気持ちで買ったら最後。斜め上を行く映画ファンは、本棚に文庫本を並べるごとく、ビデオテープをどんどん購入(捕獲)する事となった。このような形で、「中古ビデオコレクター」なる特殊な人種が形成されていく。

この時代、週刊プレイボーイでクズ映画のレビュー連載、タモリ倶楽部でのサイテー映画の紹介などもあり、国内でもダメな映画を笑い飛ばすといった体力も備わってきた。

1995年、洋泉社より「エドウッドとサイテー映画の世界」といった狂った一冊の本が出る。

著者の町山氏は、プロローグの最後に「ミミビデオに捧げる」と記述した。

この本のプロローグの文章は、私にとってとても刺激的であった。私達が観ていないビデオソフトの中に、ゴミ映画といえども価値のある作品が存在する事を断言しており、それらを配給した企業へのお礼を込めた最高の謝辞であったと私は認識する。この本の影響もあってか、一部の映画ファンは、誰も観ないような作品にも価値を見出すというパラダイムシフトが行われた。

その後の2000年頃、ネットの普及と共に膨大な情報ソースが我々に舞い込んでくる。

今までは映画については、雑誌でしか情報が取れなかった時代に比べ、比較にならない程の多くの映画情報を得られるようになる。

その中でも、映画マニアを牽引したサイトは、いち早く我々の知らない映画を紹介したファイブスさんのサイト「デスビデオ2000」、伊東さんの「ゾンビ手帳」、山崎さんの「イエロー」、リコさんの「LMD」、天野さんの「東京メガフォース」矢澤さんの「ダリオアルジェント」、ミミビデオ私設ファンページ「I love MiMi」を含む拙サイト「gore gore room」・・・等々、多くの映画マニアが閲覧した。私もジャンル映画の奥深さを叩きつけられ、これらのサイトの虜になっていった。その後、ブログやSNSの発展により、多くの映画愛好家が情報を提供しはじめ、上記の礎を築いたサイトは2006年頃には一つの役目を終えたと感じる。


、、、そんなこんなで(ざっくり!)ビデオソフトの終焉と相反し、ごくごく一部で空前の中古ビデオマーケットが出来あがった。コレクターが多い映画チラシやポスター等もそうであるが、主にホラーやSF、アダルトの分野はマニアが多く存在し、中古ビデオといえどもコレクターズアイテムとなってきた。


その中で、MIMIビデオが、何故一目をおかれたのか?大きな要因の一つはこの「ホラー物、SF物」のラインナップが充実している点である。

人喰いエイリアン、悪魔のオペ、ドクターゴードン、魔島、ドリラーキラー、ドライブイン殺人事件、血の学寮、人間ミンチ、ミミズバーガー、ゴゲリアン、愛欲のえじき、サンダーホーク、大拷殺!嬲り殺し。。。

どれも、低予算で粗削りの作品であるが、それだけで片付けられないサムシングがこれらの作品にはある。それは「卓越したバカバカしさ」「泣けてくる程の安っぽさ」「ダメな仕上がりではあるが、かなり頑張っている演技」「誰も真似できない唯一無二の傑作」等、作品のそれぞれに多くの魅力が詰まっているのである。

MIMIビデオの代名詞と言えば、上記のようなクズホラーであるが、基本的にはオールジャンルの作品と取り扱っている。青春、戦争、アクション、サスペンス、コメディ、ドラマ、恋愛、ミュージック、アニメ等、幅広く提供している。ホラー以外にも多くの傑作が埋もれているのも確かだ。

話はそれるが、MIMIの売り出し文句「未公開の作品をあなたに」と言って宣伝をしていた割には、「ブラッフ」「大滑走!死のゲーム」「12月の熱い涙」「サンチャゴに雨が降る」「フレッシュゴードン」他、劇場公開作品も配給している時点で、芯がブレている事は否めない。「サンチャゴに雨が降る」に関しては「特攻要塞都市」と何のメリットも生まないようなタイトルに改悪されている。

さらに話をそらすと、ゴミ、クズと言われている中古ビデオの中にも、「お宝」ソフトも多く存在する。オークションや、一部の販売店では、レア度から1本数万円にもなるソフトもある。例えばMIMIで言えば、「大拷殺!嬲り殺し」や「ビッグファイブ・ディ」等は、数万円払っても欲しいという需要が未だにある。(2018年の時点で大拷殺~はDVD化となった為、暴落するかも?)

もうひとつMIMIの人気の理由をあげれば「独立したビデオ販売専門会社」であったこともある。多くのビデオメーカーは、ビデオ部門とは別の大きな母体があり、その一部の事業展開としてビデオの販権をビジネスとしていたのに対し、MIMIにはそのバックボーンがなく、純粋にビデオの販売のみで挑戦をしたメーカーなのである。MIMIは、その様な大手メーカーに対抗し、大金を要する販権の作品はとれる力は無く、限られた資金の中で良作を仕入れ、信頼を勝ち取って行かなければミミブランドは発展しないという事は、仲社長は十分理解していたはずである。そんな苦しい状況がミミのラインナップから読み取る事ができるのではないだろうか。

例えば、名作「フォース・オブ・ジュライ」は、敢えて最初のリリースからは外しており、立ち上げ当時に各雑誌社に「あのアイドル仲雅美が実業家に転身」といったセンセーショナルな記事を取り上げてもらった後に、同作品のリリースのタイミングをぶつけるという周到な戦略をとっていた。

そんなMIMIビデオも、DVDの波には勝てず、2000年1月に107本目のリリース「エロチックスネークストーリー」を最後に5年という歴史に幕を下ろす事となった。


2005年頃になると、DVDの波にのまれたビデオマニアは感じていた。ビデオソフトの終焉である。音楽ソフトがレコードからCDに瞬く間に変わったように、近い将来一気に市場は変化する事は明白であった。

さて、映像ソフトがビデオテープからDVDへスイッチしていく事は認識していたが、たとえDVD市場となっても、マニアが手元に保管しているような需要の無い作品のDVD化までされるだろうか?という疑問が残る。人気のあるDVD作品は、ビデオと同様に売れるであろうが、人気の無い作品は誰も観向きもしない事をビデオ時代に経験している以上、ゴミのような映画はDVDのソフト化にならないであろうと。ならば、今のうちにDVD化になりそうもないビデオソフトは、捕獲しておかなければ、一生見る事ができなくなると。。。そう、ミミビデオの諸作品もそれにあたる。と思っていたら現在何本かはDVD化されていたりもする(涙)


2018年、既にアマゾンプライムで、これまで見向きもされなかった隠れた傑作「オメガフォース」等もネットから鑑賞できるようになってきている為、DVD市場の将来もかなり怪しい状況なってきた。皆様、ちょっと時代の流れが速すぎると思いませんか?

最後に一つ、これからの大きな課題を述べておく。それはビデオテープの寿命が20年と言われている事だ。湿気やカビにより経年劣化の酷い物は、確かに現在でも再生不能。また、テープがデッキに巻き付いてビデオデッキを壊してしまう事もしばしばある。更にビデオデッキ自体も国内生産は中止され手に入りにくい状況となってきた。今の内に、ビデオテープはDVDやHDに焼き写す必要があるとともに、今がビデオを再生観賞できるギリギリの時期である事をお伝えしておきたい。


2018年3月31日