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転職遍歴(後半)

2019.03.30 04:00

こんにちは。わこうです。


前回に続き、今回も長いです。

この時点でもう年齢は40代に突入していますが、まだまだ変遷は続きます。


ー介護&保育事業の人事シェアード会社

少しだけ落ち着いてきて、正社員復帰を目指して転職した会社です。事業拡大途上かつ人事担当者が産休直前という状況でした。


引き継ぎも一ヶ月そこそこで時間切れ、そして毎月のように新しい施設が開業するスピード感。やばいなと思いつつ、楽しめそうな予感もしてました。


毎日のように終電近くまで残業してましたが、その中で業務改善の提案を社長に出してプロジェクト化してもらいました。人事労務を含めた管理部門の業務フロー再構築とシステムの入れ替えを並行して進めることになり、約1年半の時間をかけてなんとか完了を見ました。


プロジェクトを通じて様々な経験と学びを得ることができました。その過程で部署の人数も増え、M&Aでグループ会社も増え、兼務出向で他の部署仕事も増え、いつの間にか管理職にもなり、という感じで仕事の充実感もありました。


でも、同時にやり切った感を強く感じるようになりました。ここでの経験を他の困っている人たちのために役立てたい、という気持ちと、これからはみんながこの仕組みやシステムを育てていってね、という気持ち。そして、プロジェクトが終了して半年後に退職をしました。



ここでの学びはとても多くかつ濃いものでした。成長企業、業務改善、システム化、福祉の現場、どのキーワードも今の仕事の仕方に強い影響を与えたと思います。プロジェクトで助言をいただいたコンサルタントのファシリテーションや資料作成のノウハウも役立っています。


ここでの経験が独立に向けての素地になっているのは間違いないと思います。


この頃から社労士の勉強を始めましたが、試験を一度受けたきり仕事を優先して中断してしまいました。



ー給与ベンダー

派遣社員時代にも給与ベンダー勤務をしていました。あの頃は独立まで考えていませんでしたが、今回は将来的な独立を想定して外部サービスとしての給与社保手続きをやろうと思って転職しました。


みんなで仲良くというより、それぞれが黙々と仕事をこなすという環境でした。前もそんな感じだったので、この業界はそういうものなのでしょうかね。朝から晩まで社内の人と一言も喋らない日もありました。


良くも悪くもかなりの裁量をいただいたので、そんな環境でもクライアントときっちりやり取りしていればスムーズに仕事は進みました。担当していたクライアントのひとつは、契約上週2回の訪問と届出があったので、外出で気分転換もできました。渋谷のハローワークと年金事務所に行くついでに昼休憩を絡めて周辺のカフェ巡りをしたり、タワレコ寄ったりしてました。


ただ、この頃から家族の病状が悪化してきて、もう少し柔軟に働ける場所に移るか、フルタイムを一時的に止めるかを考え始めました。



ここで外部サービスとしてクライアントと仕事ができる感触がなんとなく持てたような気がします。実際、クライアントから他の関連会社の依頼をいただいたり、転職した元担当者からご指名で転職先の会社の仕事を依頼していただいたり、直接関わっていただいた方にはある程度自分の提供するサービスクオリティにご満足いただけていたのかなと思いました。


ただ、会社のバックボーンが無ければそもそも自分のスキルを買っていただくことも無いわけで、そこは独立までの高い高いハードルだなと感じていました。


ここに移ってから社労士の勉強を再開しました。



ー社労士法人

過去に2回社労士事務所に勤めましたが、どちらも短期間で辞めています。水が合わないのかな、とも思いましたが再度この業界に戻ることに。病気の家族の対応について理解をいただけたことも大きかったです。


当初から副代表と話をしたり仕事を一緒にすることが多かったのですが、代表の姿をあまり事務所で見ることがなく、なんとなく違和感を感じていました。セミナーで喋ったり、本を書いてるようでしたので、そういうものなのかな、と。とにかく、人の(ましてや代表者の)仕事を気にするより目の前の仕事をこなすことに集中するようにしていました。


事務所管理も任されていたので、各種運用ルールを整備したり、銀行へ行ったりとそれなりに忙しくしていました。


そのうち、代表が担当するクライアントさんから頻繁にクレームが入るようになりました。当初から連絡が取れないとか、相談したあれはどうなってるのかという問い合わせは時々あったので、タスク管理とかがあまりうまくない人なのかなとは思っていました。


あまりにクレームが多いので副代表が問い詰めたところ、クライアントの社保の新適などを半年以上放置し、数百万単位で社保料の未払いが発生していることが発覚。当然、従業員からも保険証が来ないと督促の嵐。しかも対処法がわからなくて放置してたと。他にも受けた助成金を放置していたり、就業規則を作っていなかったり…。


ここに入った時の歓迎会の場で「開業した時は資格取得届も書けなかった」と笑いながら言ったあの顔が走馬灯のように蘇りました。ああ、あの人は人前で喋るのは大好きだけど、実務が壊滅的な人なんだ…ようやく察しました。


後日、全スタッフを前に謝罪し、事務所を閉鎖することが発表されました。後でわかったことですが、この時すでに彼は自分の転職(某大手コンサル)が決まっていたそうで、事務所がまだ存続中でしかもスタッフの身の振り方が決まっていない状況で「次の会社の研修があるので事務所にはもう行けません」と連絡してきました。もうこの時点ではこれくらいのことでは驚かなくなっていました。ああ、そういう人だ、と。


なんとか全員の転職が決まり、クライアントも会計事務所に引き継がれることになりました。この時、無資格者であることを激しく後悔しました。


ちなみに、現在もこの社労士法人は形式上は存続しています。代表が参加している経営者クラブか何かで法人格があった方が具合が良いのだとか。お金ないから今月の報酬早めに欲しいとか言ってたのに、どうやって社労士会の法人会費払うのかな、とはうっすら思いましたがもうどうでもいい話ですね。



ー外資系給与ベンダー

急遽転職することになってたどり着いたのが外資系の給与ベンダー。前の社労士法人に転職した時に応募をしていた会社で、今も募集中ということでお世話になることに。


ちなみに英語はまったく喋れません。が、世の中には便利なものが増えているので、各種翻訳サービスを駆使してなんとか対応していました。一応、ここに行くことが決まってからオンライン英会話も始めました。実務で話す内容は案外限られているので、何度かやり取りをするうちに慣れてきました。


それより、ボス(日本語話せない)と昼飯時に話すとか、テクニカル(拠点は海外)にPCセッティングを問い合わせるとか、毎月数本こなさないといけない研修用ビデオと確認試験(日本語設定なし)とかの方がキツかったです。


それでも、少しずつ慣れてきた頃に、家族の病状が悪化する事態が発生しました。最初は仕事と看護を両立できないかいろいろ模索しましたが、どうしても不安定な勤務が予想されると仕事は難しかったです。会社としてはOKでも、現場(日本人)はいい顔しないという感じでした。実際、迷惑かけるのはこっちなので、仕方ないですね。



ここで感じたのは、当たり前だと思っていた日系企業の給与システムが複雑すぎるんじゃないかということ。外資系は良い意味でざっくりと金額やルールを決めていて、計算式とかの細かいことは気にしないし、そこは大した問題じゃないという認識。要はこの人の仕事やパフォーマンスがこの契約内容に値するかどうかということらしい。


日本の場合はどのルールや制度にどの職種や職務が当てはまるか見たいなところがフォーカスされていて、人より制度を見ている感じ。それでいて賃金制度は職能給が主流で人を評価するのだから余計難しくなるよなぁ、なんて思いました。まあ、個人の感想です。



結局、最後はこの状況を利用するしかないと判断しました。


仕事を辞めて家族のサポートに専念する。空いた時間は社労士の勉強に集中する。この状況を1年で脱する。


とにかく、パートとかの働き方を選択しても、中途半端なサポートで回復も遅れると思いました。自分は器用ではないので、そこは割り切りが必要でした。


結果、今の状況に至るのですが、結構危ない橋を渡り続けてきたなぁと思います。



こんな人生でも今のところなんとか生きてます。


参考にはなりませんし、寧ろ真似しない方がいいとさえ思います。ただ、こんな人もいるんだ程度にこの思い出話をご笑納いただければ、これまでの転職人生も無駄じゃなかったかなと思えそうです。



乱雑な長文にお付き合いいただき、ありがとうございましたm(_ _)m