Ride in Setouchi & San-in Day 13 (28/3/19) Tobishima Kaido 2 とびしま海道 2
Tobishima Kaido とびしま海道
- Mitarai 御手洗町並み保存地区
- Shimokamagari 下蒲刈
Mitarai 御手洗町並み保存地区
大崎下島にある御手洗は江戸時代に風待ちや潮待ちの港町として栄えた所で、当時の古い町並みが残っており、保存地区となっている。古民家を利用した旅館やカフェ、レストランが数軒ある。江戸時代の建物に混じって明治から昭和初期に建てられた洋館も混じっている。泊まった宿はその一つ。観光客はちらほら。自転車を停め、歩いて町並みをまわる。
対岸の島からの御手洗地区と御手洗地区海岸線
江戸時代からの古民家
カフェなどに使われている。
昭和レトロ 懐かしい看板が掛かっている。駄菓子屋をやっている。
洋館もある。
満舟寺
住吉神社
幕末期に京都から落ち延びた公家七卿がここに立ち寄った場所
面白い標識。戦後すぐに設置されたという。今の標識より元気があって良い。今の標識は高学年が低学年を連れている。世相を反映しているのだろうか。
とびしま海道 2日目
保存地区を見終わり、とびしま海道の残りの三島を巡る事とする。
5号橋 平羅橋 短い!
平羅島からの風景
6号橋 中の瀬戸大橋
中ノ島
7号橋 岡村大橋 最後の橋
岡村島
これでとびしま海道を走破したのだが、この先の島につながる橋はまだずうっと先の事だろう。大崎上島への8号橋が計画されてはいたが、未だ実行段階には来ていない。ここがしまなみ海道と比較して人気のない理由だろう。終点の岡村からは船が出ているが、自転車はそのままでは持ち込めず、輪行袋に入れなければならない。それにビンディングシューズも禁止で、普通の靴に履き替えなければならない。また、岡村島から小大下島、大下島、柏島を経由して大三島へ繋ぎ、しまなみ海道に接続する構想もある。これがを実現できれば素晴らしい。生きているうちに実現して欲しいものだ。
ということで、来た道を呉まで戻る。
Shimokamagari 下蒲刈
御手洗から呉に向かって20キロぐらいのところに下蒲刈に本陣がある。昨日、おじさんに是非見て欲しいと言われたので、時間をかけて訪問する。
三之瀬御本陣芸術文化館
参勤交代や朝鮮通信使の公式な宿場として存在した。そういえば、九州の熊本の細川藩や鹿児島の薩摩藩の参勤交代は瀬戸内海を船で移動したと説明を受けた。ここにも滞在したのだろう。本陣跡が復元されている。中は美術館館になっている。本陣前には福島正則が築いた雁木(がんぎ)と呼ばれる船着場がある。最初は11段であったが、昭和になって地盤沈下等が起きたため上部3段がつけ足されて、14段となっている。
ここには美術館、茶室、庭園などがある。大きな宿場町かと思いきやその全ては他の地区から移設してきたものだ。地元のおじさんから聞いた話ではここの町長が政府と交渉して35億円予算を獲得し、この町の活性化の為多くの美術絵画や工芸品さらにはその展示の為の屋敷などを購入して建築したという。そのほかコンサートやフェスティバルも行い村おこしをしてたらしい。小さな町の町長がこれ程の金を貰うには何か裏があると思い、あとでこの時の経緯を調べてみようとしたがインターネットでは見つからなかった。
松濤園
下蒲刈町では、全島庭園化事業 (ガーデンアイランド構想) が推進されており、その一環として、松濤園が購入移設された。中には美術館や資料館がある。
陶磁器館は安芸の宮島の門前町にあった町屋を移設し、石置屋根を富山県砺波から移築している。
朝鮮通信使資料館「御馳走一番館」は藩政時代の旧家を山口県上関町から移築。
あかりの館は建物そのものを保存している。
江戸時代の蒲刈島御番所は復元されている。
蘭島閣美術館
この島は昔は蘭島と呼ばれていたことから蘭島閣美術館を伝統的な本格的総檜造り木造建築様式で作られている。島とゆかりのある作家の作品、また日本を代表する作家の作品等を展示している。購入は画商を通さず直接購入したから偽物は無いとおじさんは胸を張っていた。
白雪楼
京都黒谷の奇好亭を楼造り(二階建)に改め、漢学研鑚の場にしたもの。 この建物は転売転売で3回目にここに落ち着いたそうだ。面白いのが一階にが可動壁がある。忍者屋敷でよくあるくるりと壁が回転するやつ。見学には抹茶付きで、お茶をたててくれた。こんなに美味なお茶は初めて、ガブガブ飲むお茶とは全然違う。茶道もやってみようかと思う。
全て見終わり駐輪場に向かう途中に、ここで登場しているおじさんに声をかけられた。文化財の建物があるので、見ていかないか?説明するよ。今から自転車を取りに行くところです。じゃあ、あそこで待ってる。とのやりとりで、説明を聞くことになった。
自転車で向かうと、おじさんは待ってる。手を挙げてここだと。
観潤閣
地元の榊谷仙次郎氏の別荘。地元では英雄だ。満州大連に渡航し、榊谷組の土木建設会社を作り満鉄から絶大の信頼を受けて、さなざまな工事を請け負い成功した。現地のクーリーを中心に会社を組織し、現地からも信頼を勝ち得ていた事が成功の一因だ。昭和10年にこの別荘を建て、それ以降は毎年数週間ここで過ごしていた。敗戦で無一文になる。引き揚げ時は同胞の帰国を助け、本人は最後に引き揚げ船で帰ってきた。財産は毎日つけていた日記だけだった。それは当時の満州の状況を知る貴重な資料となった。
おじさんはこの別荘の前に家を買う。結婚式は頼み込んでこの別荘でした。広の東洋パルプに毎日船で通った。当時は三交代制で成長期だった。定年後は愛着のあるこの観潤閣の語り部を使命としてやっている。建物の説明から榊谷仙次郎氏の一生を話してくれた。87才元気だ。帰りには資料をコピーしたものをくれた。その他の話にもなり、結局1時間以上のお話となった。楽しい有意義な時間だった。
帰途に着く。あまり距離はないのでゆっくりと走り、また銭湯券付きのインターネットカフェに泊まる。