京都庭園散歩 本法寺(2018年10月)
場 所:京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町617
拝 観:無休(但し、行事などで休館あり)
拝観料:500円(境内は自由)
拝観時間:10:00~16:00
日蓮宗の本山、山号は叡唱山、本尊は三宝尊。
室町時代に活躍した日蓮宗僧侶・日親上人によって、永淳8年(1436年)に東洞院綾小路に建てられた「弘通所」が始まりとされています(諸説あり)。その後、永淳11年(1439年)日親上人の幕府諫暁が原因で足利義教の怒りに触れ、上人は投獄され寺は焼かれた。
嘉吉元年(1441年)赦免され康正年間(1455年~1457年)に本阿弥清信の帰依を受け、四条高倉にて再建。その後上人の他宗派批判が原因で、寛正3年(1463年)に投獄され、寺は破却されたが、翌年には赦免され、三条万里小路に寺は再建された。しかし、天文5年(1536年)に天文法華の乱により又も焼失し、堺に避難。天文11年に後奈良天皇が法華宗帰洛の綸旨を下し、一条堀川に再建された。
天正15年(1587年)、秀吉の聚楽第建設のため、その命により現在の地に移転。その後、本阿弥光二・光悦親子の支援を受け伽藍を整備したが、天明8年(1788年)の大火で、経蔵と宝蔵を残してすべて焼失。その後、本堂・開山堂・多宝塔・書院・仁王門などが建てられ今日に至っています。
長谷川等伯は第10世日通上人と親交があり、塔頭・教行院を宿としていたため、当寺に等伯の作品などが多く伝来しています。
堀川通りを西に寺之内通りに入って暫く進むと、「小川(こかわ)と百々橋(どどばし)の礎石」という説明板が立っています。そこを北に小川通りを北に進むと、左手に本法寺の仁王門があります。
小川通りに面して仁王門とは反対側には、裏千家今日庵の草門があります。
仁王門を潜ると右手に摩利支尊天堂があります。
更に進むと右手に多宝塔があります。
多宝塔の北側には開山堂があり、その左手に唐門が見えています。
多宝塔と対峙する形で西側に本堂があります。本堂には本阿弥光悦筆の扁額がかかっています。
本堂正面の左側には長谷川等伯の銅像と本阿弥光悦公手植えの松があります。
多宝塔の南側には鐘楼があります。
本堂の横を通って右に見ると庭園入口の庫裡があります。庫裡の右手に見えるのは大玄関です。
入って右手に廊下を進むと、左手の建物の中に縦約10m・横約6mの長谷川等伯筆・佛涅槃図があります(写真撮影禁止)。右手には唐門との間に「十(つなし)の庭」があります。庭には九つの石が配され、観る人の心の中にもう一つの石が存在することから名付けられました。「つなし」と読むのは、十の読みが「とお」と読み「つ」がないことによるのだそうです。昭和47年の「巴の庭」の修復時に作庭。
戻って今度は左手の廊下を進むと回廊があり奥に書院があります。
回廊左側の庭。
回廊右側の庭には小判型の「光悦の蹲踞」があります。
書院に面して、本阿弥光悦作庭と伝わる「巴の庭」があります。室町期の書院風枯山水の庭園で、昭和61年に国指定の名勝となっています。書院の東側から南側へ曲がる鍵型の庭園で、巴の形をした築山が三か所あります。東南隅に石組みにより枯滝が配され、縁側前には半円を二つ組み合わせた円形石と、切り石による十角形の蓮池があり、「日」と「蓮」を表現しています。
南側の庭。
写真中央奥の枯滝
「日」と「蓮」
渡り廊下側からみた「巴の庭」
庫裡を出て左側を見ると、本堂とを結ぶ渡り廊下越しに開山堂が見えます。
庫裡を出て右手の堀川通りに向かう道から振り返って、多宝塔を見た景色。右手は茶道総合資料館、左手は塔頭の教行院の土塀です。
2018年10月28日撮影