ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 木曽谷の物語 ~木曾五木~ 江戸時代後期『木曽式伐木運材図会』&『妻籠』総檜造りの脇本陣 奥谷!」
はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
木曾五木とは
「木曽五木」の歴史は江戸時代まで遡ります。木曽谷の森林は、江戸時代、尾張藩直轄の領地でした。木曽の木材は昔から良質で、江戸城の築城や造船、土木用材等、様々なところで利用されていました。約100年間、木曽谷の森林は大量に伐られ続けたため、木材資源が枯渇してしまいました。そこで、尾張藩は森林保護政策として「停止木制度(ちょうじゅぼくせいど)」を設け、ヒノキ、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキの伐採を禁止しました。停止木制度は、ヒノキの保護を目的とし、ヒノキに外観が似て、かつ利用価値の高い樹種も禁止木に選びました。禁止木を伐採した者への罰は、「木一本、首一つ」と呼ばれるほどで、厳罰に処されました。森林保護制度によって保護された樹種は「木曽五木」と呼ばれ、現在は木曽谷の名産品となっています。
ヒノキ(Chamaecyparis obtusa)
ヒノキは、ヒノキ科ヒノキ属の樹種で、日本と台湾に分布しており、日本では、北限が福島県、南限が鹿児島県の屋久島です。台湾に分布するヒノキはタイワンヒノキと呼ばれ、ヒノキの変種です。最も分布が集中しているのが、長野県木曽地域から裏木曽地域(飛騨南部、東濃地域)となり、この地域に分布する天然ヒノキが「木曽ヒノキ」と呼ばれます。
ヒノキは、真っ直ぐに伸びる性質があり、優れた耐久性や、抗菌作用もあるため、日本最古の木造建築物、法隆寺、五重の塔など、古くから重要な建築物等に使われています。特に、木曽ヒノキは、木目が緻密できれいです。
名前は、古代に木を擦り合わせて火起こしに使われていたため、「火の木」に由来します。
建築用材や、家具、建具、彫刻などに使用され、ヒノキの樹皮は「檜皮葺」と呼ばれる屋根の材料となります。
サワラ(Chamaecyparis pisifera)
サワラは、ヒノキ科ヒノキ属の樹種で、日本固有種です。北限は本州岩手県で南限が九州です。ヒノキとよく似ており、葉の裏の気孔群で見分けることができます。沢筋や窪地によく生育し、ヒノキよりも生育は旺盛です。桶、樽、家具、建具類に使用され、木材をみかん割りにした、屋根材としてのこけら葺きやとち葺きも有名です。
アスナロ(Thujopsis dolabrata)
アスナロは、ヒノキ科アスナロ属の常緑針葉樹で、日本固有種です。北海道南部が北限で、本州、九州の山地に分布します。ヒノキと似ているため「明日ヒノキになろう」という言葉が語源で、別名「ヒバ」「アスヒ」などと呼ばれます。日本三大美林の青森ヒバは、「ヒノキアスナロ」という種類で、アスナロの変種です。建築、土木用材や、家具、船などに利用されます。
ネズコ(Thuja standishii)
ネズコは、ヒノキ科クロベ属の常緑針葉樹で、日本固有種です。本州中部から四国に分布し、特に中部地方以北に多く山地に自生します。富山県黒部地方に多いことから、別名「クロベ」「クロベスギ」などとも呼ばれます。木材は独特な香りをもち、黒褐色の光沢があります。建築材や船舶、家具などに利用され、木曽町日義ではネズコ下駄が特産品となっています。
コウヤマキ(Sciadopitys verticillata)
コウヤマキは、コウヤマキ科コウヤマキ属の常緑針葉樹で、日本及び韓国済州島の固有種です。日本では、北限が福島県で南限は宮崎県です。和歌山県にある高野山に多く生息していることが語源で、高野山では霊木とされています。観賞用として庭園などにも植えられ、山地では尾根沿いによく生育します。水に強く朽ちにくい木材のため、船や桶などに利用されます。
木曽式伐木運材図会
奥山で大木を伐採する
熱田堀川貯木筏
(熱田神宮に近く、子供の頃、この上でよく遊びました。但し危険です。今は筏はありません)
かっては、堀川※の両岸に製材工場が立ち並び、筏が着くと直接チェーンで吊り上げ土場で暫く乾燥させてから製材したものです。大勢の職人達が出入りして大変に賑わっていました。伊勢湾台風の時には、貯木場の木材が流出して民家になだれ込み大変な被害が出てしまいました。それ以後、名古屋市は、港に高潮防波堤を造り、港に隣接した鍋田干拓地を埋め立て堀川沿いにあった木材・製材・合板工場は移転したのでした・・・名古屋城まで続く堀川の水質は徐々にですが浄化していきました。
※堀川
名古屋城ができる前のこの地方の中心地は清須(清洲)でした。清須城は手狭で、水攻めへの弱さが懸念されたので、徳川家康は慶長15年(1610年)に名古屋台地の北西端に名古屋城を建設し、清須から町ぐるみで移転しました。慶長18年(1613年)には、この「清須越し」がほぼ完了し、名古屋の町は誕生しました。
堀川は、それと時を同じくして、当時海に面していた熱田(宮の渡し)と名古屋城を結ぶ、物流の要として福島正則により開削されました。
木曾檜を使用した名古屋城本丸御殿。背景に金の鯱の名古屋城(木造に建て替え予定)
木曾檜を使用した名古屋城本丸御殿。一般公開中!
「襖絵」や「折上格天井(おりあげ ごう てんじょう)」も然る事乍ら、井波彫りの欄間がひと際目を惹く。
木曽式伐木運材図会
「木曽式伐木運材図会」は、江戸時代後期頃の木曽地方や飛騨地方で行われていた伐木・運材の技術についての絵巻物2巻(上巻10m×40cm、下巻13m×40cm)です。奥山で大木を伐採するところから、造材、搬出・集材、木曽川でのいかだによる流送、熱田白鳥木場(愛知県名古屋市)での集積、大型船による海上輸送までの様子が、作業工程順に絵図と詞書(ことばがき)で説明されています。
「図会」の作者、製作時期、製作目的、中部森林管理局に保管されている経緯等については、それらを明らかにする文献等が見つかっておらず明確ではありません。しかし、岐阜県高山市で江戸時代後期に製作された絵図をオリジナルとし、林業・木材産業に関する博覧会への出展や皇族・政府高官などへの説明用として、明治時代に製作されたであろうと推測されています。類似の絵図や版画が複数存在しますが、本「図会」は、これらの中で最も丁寧に描き込まれ、豪華につくられた最上級の美品です。
本日の「妻籠」情報
檜造りの堂々たる建物が、妻籠の歴史を物語る
脇本陣『奥谷』(林家住宅・国重要文化財指定)
脇本陣奥谷は代々脇本陣・問屋を勤めた家で、現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧をふんだんに使い建てられたもので、旧家の堂々たる造りを見ることができます。また脇本陣奥谷では囲炉裏端での昔の生活ぶりなど、生きた歴史を語り部から聞くことができます。
歴史資料館
歴史資料館は脇本陣奥谷に隣接しており、奥谷から続いて見学できるようになっています。太古から近代までの南木曽(なぎそ)の歴史、町並み保存運動などの資料を模型や映像を用いてわかりやすく展示しています。
お問い合わせ
南木曽町博物館 〒399-5302 長野県木曽郡南木曽町吾妻2190
Tel 0264-57-3322(代)
妻籠観光協会観光案内所 長野県木曽郡南木曽町吾妻2159-2 TEL:0264-57-3123
木曾は北で分布する木の南限にあたり、南で分布する木の北限にあたります。
北と南の両方の性質を持ち日本全国どこの地域で使用しても捻り、反り、割れなどの狂いが少なく、昔から特に木曾檜は、法隆寺、東大寺、薬師寺そして伊勢神宮など神社仏閣の大建築に使用されてきました。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
農林水産省・林野庁
中部森林管理局
〒380-8575長野県長野市大字栗田715-5TEL:050-3160-6513
一般社団法人 上松町観光協会
〒399-5601長野県木曽郡上松町大字上松159-3電話0264-52-1133
(財)妻籠を愛する会
〒399-5302長野県木曽郡南木曽町吾妻2159-2 電話: 0264-57-3513
妻籠観光協会観光案内所 長野県木曽郡南木曽町吾妻2159-2
TEL:0264-57-3123
南木曽町博物館 〒399-5302 長野県木曽郡南木曽町吾妻2190 Tel 0264-57-3322
名古屋市役所
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