Ride in Setouchi & San-in Day 15 (30/3/19) Oyster Cycling Road かきしま海道
歴史の見える公園 (Day 14 参照)
アレイからすじま (Day 14 参照)
Ondo 音戸
Etajima Island 江田島
昨日広島に陸路で行く予定だったが、かきしま海道なるものがあると知り、予定変更でこの海道が通る江田島まで行き、海路で広島に渡ることにした。陸路だと広島までは28kmだが、倍の距離の58km走行だった。
かきしま海道をインターネットで調べていると、海道と称されているのは7つもあることがわかった。さざなみ・せとかぜ・はまかぜ・ゆめしまとある。せとかぜ海道は松山と佐田岬で昨年お遍路の旅で走ったので、未完は3つ。これは次回のたびにまわそう。
昨日は大和ミュージアムなど軍関係の場所を訪れたが、今日のルート上にも軍関係施設がありそこも訪問をする。その様子は軍関係ということで、昨日の旅日記に含める。
音戸大橋と第二音戸大橋 2つの橋が呉と倉橋島を結ぶ。手前に見えるのが第二音戸大橋で向こう側が音戸大橋。
写真上が音戸大橋、下が第二音戸大橋
Ondo Ferry 音戸渡船
今回は橋を渡らず、日本で一番短い渡し船で倉橋島に行く。変わった渡し船。時刻表はなし。人が艀にいれば船を出す仕組み。という事で、艀で待っていたが、船が通る度に大揺れとなる。重い自転車のバランスをとるのに精一杯で少々怖くなり、陸地での待機に変えた。渡し料150円。乗船したのはロードバイクの人で合計2名で300円の売り上げ。経営大丈夫だろうか?
Ondo Old Path 音戸旧道
倉橋島についたそこが江戸時代から続く街。案内図があった。まわってみよう。
伝 清盛塚
音戸の瀬戸を切り開いたのが平清盛と伝えられている。人柱の代わりに経石を沈めたと言われ、その徳を称えた塚がある。真偽がわからないので「伝」となっている。ただこの塚が1184年に建てられ、清盛の時代からすぐ後であるので、何らかの関わりがあった事は想像出来る。
細い自動車が一台通れる道の両側に、宿場形式の家が並ぶ。ほとんどの家は改築されており、江戸時代からのものは少ないが、それでも数軒古い家が残っている。
その中でピンクの洋館が目に付いた。丁度、ここを通っていたおばあさんにこの建物の事を聞いた。元は呉銀行で地元の音戸銀行を吸収してここに支店を開設したが、戦時中の一県一行制で広島県下にあった5行が合併し、広島銀行となった。その時にこのピンクの洋館から出て行った。そのあと持ち主が変わったが、最後はここが観光地で繁盛すると期待した会社が買ったが、街は繁盛どころか衰退して結局撤退して今は空き家となっている。おばあさんの話では戦後呉にGHQが駐留したときが最盛期で多くに米軍兵士が遊びに来ていた。この通りの外れには遊廓まであったという。今は過疎化が進み子供がどんどん減って来ている。懐かしそうに昔話が続いて、お別れの時には「お話してくれてありがとう」と言われた。こちらこそなのだが...
その後、何人かに声を掛けられ、その都度、お話が始まる。短い通りなのだが通過には随分と時間がかかった。これが、ひとり旅の楽しさ。
Etajima Island 江田島
早瀬大橋 能美島と倉橋島を結ぶ橋。道はほぼ平坦で橋のところだけ急坂だが距離は短いので大したことはない。
江田島/能美島
江田島と能美島は陸続きで橋はない。以前は独立した島であったが江戸時代に埋め立てられ陸続きとなった。パノラマ写真は分岐点の飛渡瀬で向かって右が江田島、左が能美島。
かきしま海道というだけあり、入江にはいたるところに牡蠣の養殖いかだがある。
三高(みたか)港から広島の宇品港行きのフェリーに乗船。船内でサイクリストと知り合い、40分の航路の間話しをする。同い年でそろそろ定年を考えているが、会社が放してくれなさそうだ。飲食関係の会社に勤めていて、新店舗の立ち上げをやっている。場所が色々で、今は片道2時間の通勤。流石に2年これでは辛いと言っていたが、仕事には誇りを持っている。多分、店舗従業員には厳しく指導しているのだろう。ももクロのファンで追いかけてをやっている。ももクログッズをもらう。その他読み終わった本も。忙しい中、3日の休暇を楽しんでいるようだ。
明日から広島観光