3月24日 天岩戸神社の神主さんのお話について、考えてみた
昨日、天岩戸を見学させていただく際に、神主さんが神話の話、解釈をお聞かせくださったのだが、
その中身について、「あれ?」と思う箇所が、いくつかあった。
ネットで検索してみると、他にも我々と同じような感想を持たれた方がいらっしゃるようだった。
神主さんが話された内容とは、
神話で神といわれているのは、実は人間であり、死んだ後に神の崇め奉られるようになった。
菅原道真、乃木希典、明治天皇、みんな人間。
同じように、天照大神も人間だった。
それは九州の人間ならみんな知っているが、本州の人間が神にしてしまった。
天照大神が岩戸に隠れて、世界が暗闇に包まれたというのは、阿蘇山が噴火した噴煙で、何も見えなくなったからであったからで、天照大神とは関係ない。
神武天皇は、高千穂の峰で生まれ、稲作を日本各地に広めていった人。
人の命を救う米は、天からの授かりもの。
それを与えてくれた人は神に違いないということで、人が神として祀られるようになった。
というもの。
まさに、伝説の、あの「天岩戸の洞窟」を前に、
神聖な場所ゆえに、撮影禁止とされている、その場所を前にして、
「この神話は、作り話です」と種明かし。
これは、
クリスマスを前にして、サンタクロースへお願いを書いている子供に、
「サンタクロースなんていないんだよ。周囲の大人がプレゼントを用意してくれるだけなんだよ」
と教えてしまうのと同じ。
ディズニーランドに行って、ミッキーマウスを見て、写真を一緒に撮って喜ぶ子供に、
「この中には、汗だくになったおじさんが入ってるんだよ」
と話す大人と一緒である。
本州の朝廷側の人間が作った「神話」という物語。
熊襲・隼人と呼ばれ、朝廷の支配を受け入れられず反逆を繰り返していた民族側の立場からすれば、まったくその通り。
朝廷側に有利な内容となる様に書き記された物語であることには間違いないだろう。
だが、しかし、ここは、
神話の世界である高千穂という場所は、いわば「大人のアミューズメントパーク」。
しかも、ここは天岩戸を御神体として祀る神社である。
神話自体を否定してしまっては元も子もない。
この神主さんの解釈は、歴史の検証という立場からすれば、納得できるし、
神話の背後にあるものを探るのも自由である。
だか、それは、この場において、本当に必要なことなのだろうか。
神話の地、御神体を前に、そこを訪れる人々に聞かせたい話なのだろうか……。
ひょっとして、この神主さんは、こうした観光地化に嫌気がさしてきているから?
一日に幾度かの見学ツアーを設け、こうして我々が御神体を拝めるようにしているのは神社側。
神主の真意が計りかね、今だにモヤモヤとした思いを引きずってしまっている。