生きづらさ
きょうはほぼ事務処理デー。
なんかきゅうにずっとまえのカウンセリングで、家庭環境が悪く、このままでは家族を殺してしまいそうという相談を受けた人を思い出した。
優しくてとても真面目で、私が字を書くのが早いとかでけらけらわらうひと。
でも一時、本当に顔色が悪くやばいときがあり心の医療機関に連携したり、サポート機関にあいだにはいってもらったりして家族とは絶縁し、環境をまったくかえて新しい人生をあゆんだ。
それくらい、関わる人は大切だし選ぶ権利がある。家族関係がそれじゃ逃げるに逃げられないと思うかもしれないけど、
自分が死んだり人を殺しそうな発想がよぎるのは限界がきてると思う。
人や環境を選ぶ権利があるという認識、とてもたいせつ。
たくさんの生きづらいひとのはなしをきく。
うわべで、そうなんですね。。
じゃなくて心から寄り添い分かち合い少しでも一緒に前に進む。
進めないなら一緒に立ち止まる。
そういう人が少しずつ元気になっていく、
それがわたしは心から嬉しい。
これ、自分が生きづらさを感じなかったら絶対出来なかったしごと。
それにスクールカウンセラーもとても楽しい。みなさんの人生の本当に大事なときに背中を押したり話を聞いたりする。
ほんとうに良い仕事をさせてもらってる。それでたべさせてもらってるなんて感謝しかない。
最近頭をよぎることがあってみんなは良いといってもわたしは読むだけで鬱になりそうな文章があった、
キャリコンもそうだけど想いが強い人ほど表現がエゴになりがちだから相手ありきの時相手がどう思うか、本当にその言葉を発していいのか、その伝達気をつけないとだめだなとおもう。最悪トラウマ植え付けかねないしわたしも気をつけようとおもった。
うまくいえないんだけど、
わたしのなかで節目だったり環境の変化だったり別れたら別れなんだよね。
もちろんそれもたいせつにするんだけど、
もし大好きな友達でも正直奥多摩に住みたいって言い始めたらちょっとこまる。遊びに来てくれるのはとっても嬉しいけど。
好きとか嫌いじゃなくてここに来た意味がなくなる、そしたらわたしが出ることになるだけではあるとおもうんだけど
それくらいちょっといろんなおもいがある。
前々職の同僚がすごいしっくりすることいってた、