万葉の歌に
今、空前の万葉集ブームということで書店が賑わっている。
マイナーな文学が好きな私は、ミーハーな文学も好きである。
早速私も書店に行き、和歌に関する本を入手した。
和歌は五音と七音の句を3回以上繰り返す形式(今では長歌と呼ばれる)だったが次第に短くなり、古今集の時代には五七五七七の短歌となったが、なぜそのリズムなのか。
和歌を数える単位はなぜ首なのか。
和歌の成立時期はいつ頃で、現代までどのように発展(または衰退)したかなど興味深いテーマが沢山ある。
このようなことは小学生で一度習っているはずが全部忘れてしまっている。もったいないものである。
万葉集の成立は7~8世紀ということで編者は分かっていない。
万葉集には約4500首の歌があり、作者の分からない歌が2000首以上ある。
作者がわかっている歌の中で一番新しいのが759年1月1日に大伴家持が読んだ歌とされている。
《やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり》
有名な『古今和歌集仮名序』の冒頭文である。
古来から人間は、いや、生きとし生きるものはすべて心に思うことを言葉で表現してきた。ときには力をも入れずして天地を動かすこともあった。
今回の万葉ブームで私が一番関心を抱いていることは、万の葉と言われる歌をどのように集めたのか、ということである。
そして当時の倭人の教養(教養という言葉は嫌いだが他に思いつかない)がどれほどだったのかということに、思いをめぐらしている。
現代人よりは和歌に対する素養はありそうである。
万葉集の詠み人にはホームレスや浮浪者もいる。
そのような者が和歌を懐に偲ばせている世である。
軍人としての防人が和歌を諳じるような世である。
貴族だけでなく多くの日本国民の先祖である農民が言葉を使い、それを竹や石に記録し残すことができたのである。
編者は懸賞をかけて、例えば最優秀賞は俵一俵などとTwitterなどで和歌を公募して集めたのだろうか。
国民はみな、YouTubeで和歌の作り方を習っていたのだろうか。
東歌として関東や東北の季節を歌ったものもあり、和歌に方言もある。
地域も季節も年齢も性別も職業も越えて、広く言葉を集める。
これほど豊かな言語活動の収集が、いったいどのようにしてなしえたのか。
今、短歌のコンクールなどでは応募があまり集まらないという。
これを機に新しい言の葉の活動が生まれることを期待している。