Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

記憶の中で息づく庭。

2019.04.04 15:00

Naoyaです。

今日は二十四節気の5番目、清明です。そして、牡羊座の新月でもあります。清明とは、清々しく明るさに満ち溢れたときという意味ですが、光は春らしくなってきたものの、気温はまだかなり寒く冷え込んでいます。

この「森羅万象の聲」は基本的に、新月満月のタイミングでMaribrengaëlさんが、二十四節気のタイミングで僕が投稿しています。ここしばくは新月満月と二十四節気が重なるタイミングが多く、重なるときは僕が1日前倒しで更新していましたが、今回はMaribrengaëlさんが連続して投稿したここから更新の順番が変わり、新月満月と二十四節気の間隔もどんどんずれて差が開いていきます。ふたりきりで始めたこの小さなメディア。まるでふたつの個性的な惑星がそれぞれ軌道を描きながらどんどん近づき、クロスする時期を経て、そしてまた離れていくような感じにも似ています。今回の僕の投稿は、超私的な話題です。

写真はスノーフレークという花。春になると父方の祖母の家の庭に咲いていた花なのですが、子どもの頃、毎年これを見ると春になったことを感じていました。スノードロップにも似ているんですが、花びらの縁にポチポチとある緑色の模様が特徴的。ちょうど今くらいの時期に咲いていた花です。

先日新しい元号が発表されて、新たな時代が始まろうとしています。妙なお祭り騒ぎやフィーヴァーしている世の中を傍観しながら、ゆっくりと春が移ろっていくのを静かに味わっているのですが、近所の道端のちょっとしたスペースに植えられているスノーフレークを見かけて、ふと祖母の庭を思い出しました。

父方の祖母の家は立派な洋風の庭が整えられていて、庭のど真ん中には巨大な月桂樹の木があり、その周りには桜や椿の木、花壇にはチューリップやパンジー、ヒヤシンス、クロッカス、そしてこのスノーフレークなどが花を咲かせていました。祖母がカレーをつくるときは必ず月桂樹の葉を摘み取り、鍋に入れて一緒に煮ていました。月の輝く夜、門の脇で揺れていた背の高い月見草の鮮やかな黄色は記憶に残っているし、祖母にねだって買ってもらった貝殻草は、花びらがドライフラワーのようにカラッカラに乾いていて、その触った指の感触やカサカサした音も鮮明に覚えています。

他にもいろんな花が庭に植えられていたと思うのですが、だんだん記憶は薄れてしまって、何が咲いていたのかをすべて明確に思い出せません。今は祖母も祖父も親戚も、そして父もこの世にはいなくなってしまったし、何よりあの素敵な庭は土地の売却によってもう存在していません。あの庭のことを頻繁に思い出すのは、きっと僕くらいしかいないんじゃないかもしれません。今でもあの庭は、僕の記憶の中に息づいています。

東京、横浜は今ちょうど桜が満開。今年は冷え込んでいるので花は長持ちしていますが、ここで気温がグッと上昇すると、急き立てられるように花びらは一気に散ってしまうでしょう。時間の経過というもの自体は目に見えないけれど、あの紙吹雪のように薄紅が散りゆくさまは、時間の経過を可視化したようにも思えます。

記憶の庭に立ち止まって懐かしんでいても、今年の桜の花は終焉へと向かい、新しい時代へのカウントダウンは刻々と進んでいます。春は一年の中で、変わらないものと変わりゆくものが、もっともたくさん交差する時なのかもしれない。この春はそんなことを感じています。