続・美しすぎるゆえの
まずインパクトがあった。Kさんは本当に美しかった。顔に凄味があり、長身とあいまって、なんともいえない迫力を醸しだしていた。街を歩いたりしたら、名刺が降りしきる。高級クラブでホステスをはじめると、月の下の大輪の花に、男性たちは酔いしれた。もちろん当たり前のホステスにいられるはずもなく、齢三十にして銀座の一等地に自分のお店を構えたのである。
何度も言うが「キャリア女子」という言葉がなかった頃の話だ。おそらく日本にとって「女性起業家」は、想像の外だったのではあるまいか。「働く女性」あたりが当時の日本の限界だったに違いない。
このような時代で現代というものにどうやって近づき、融合しようとしたか、社会の中でどう生き抜こうとしたか。その運命の凄さを乗り切ろうとするたくましさというのは、とても普通の女性の比ではない。あの夜の世界にうごめく、理不尽なもののスケールの大きさといったらどうだろう。なにしろ厳しい生存競争と、自己主張が生み出すきつい空気がある魑魅魍魎の世界だ。
Kさんという超高級クラブのママの凄さというのは、人生の、男性と女性の真実というものが、非常にクリアに見えたのである。また自分を客観視する強さも持っていた。
こういう人を天才と呼ぶのである。彼女は天才だからして、他のことは何もできない。お手伝いさんがいて、すべての家事をしてくれるので、Kさんの手にはいつもピンクベージュのネイルに輝いている。そのネイルも出張サロンで塗っているそうだ。
Kさんぐらい仕事ができて、ゴージャスな女性だったら「私、料理はしません」と言い切ればいいのだ。あとは、男の人がおいしいところへ連れていってくれる。
「私、何にもつくれないの」と言って、実はこういうタイプがすごくモテるのだということがよおくわかった。男性の関心をひくため、せっせと料理をしよう、なんていうのは平凡な女性が考えることなのである。
「恵美子、よろしかったら今度わたくしと一緒に、京都のお茶屋さんに行きませんこと」
「秋にパリにドレスを作りに行こうと思っているの。あなたもお誘いするわ。ぜひまいりましょうよ」
お金も美しさもたっぷり持った女の人。「いやですわ、わたくし」こんな言葉を自由に操る女性に、私は目が覚めるような思いをしたものだ。
レースのカーテンが幾重にも下がるフランス窓からは陽光がふりそそぐ空間で、甘ったれで自意識過剰の私は、恋や仕事の弱音を吐いたものだ。
凡庸な女性ならば、心情吐露でぎっしり詰める示唆をKさんは箴言にとどめている。その美しさ、みずみずしさといったらない。箴言が言えるということは、ふだんから強い人生観や恋愛観をもっているということである。
銀座という街は不思議なところで、これほど女性の美しさが重要なところもないくせに、銀座にお店を持てるような女性は、エロティシズムなんてたいして役に立たない。それよりもっと大切なものは、両性具有であることだ。男性と女性の目どちらも持ったこういう人は本当に強いはずである。頭のいいといわれる女性の十人分ぐらいは、らくらくこなしてみせるに違いない。
Kさんはお酒を飲む男性の心をまっすぐに受け止める稀有な人であった。
さまざまな男性たちが、お酒についていろいろな物語を描く。人生にそれほど深くかかわることのない女性たちが、お酒についてどれほどのことがわかるのだろうか。またわかりかけたとしても、たいていの女性たちが、私のようにその事実から目をそらす。
男性の歴史というのは、ひとつひとつハンディを積み重ねていくことである。女性からは想像もできないほどさまざまな競争があり、男性はそのたびに小さな戦いの敗者となっていく。お酒を飲む本当の意味を知ることは、その屈辱や悲しみを知ることと同じなのだ。
並みの人間では太刀打ちできない強さがKさんにはあった。このくらいの強靭な意志と華やかさがなければ、どうしてこうした負をもったまま生きていけようか。優しいけなげな女性である。
そんなKさんに私はずっと共感と理解を寄せるから不思議だ。それは彼女が“真剣に”苦悩しているさまが見えるからである。
「女性は平地にいるうちは何も見えてこない。そういう人生しか知らない。けれども階段を上り始めると、もっと上があることがわかってくる。だから歯を食いしばって上に上らなければならない。すごくつらいし、苦しいことでしょうね。だけどこれが野心というものだと思いますわ」とKさんは他人ごとに言っているが、これは彼女自身のことであろう。
人よりも美しく誇り高く生まれたKさんは、やがて自分が贅沢の極みをおくる女性、しかも日本でいちばん人気と名声を博する超高級クラブのオーナーママだということを知っていく。
けれどもKさんは屈折してドロップアウトするほど愚かではない。身につけた教養と知識のスケールも違っていた。
たくましく自立しようとする生き方を好む心と、やわらかく切ないものをよしとする感性は、決して相反するものではなく、両立しているものなのだ。このことを教え導いてくれたのは他ならぬ仕事である。Kさんはそれを誰よりも美しく体現した人ではなかろうか。
私は恥ずかしくなった。自分はもがき苦しんだふりをしているだけで、実は何ひとつ失っていないからである。人間はとことん失ったときに、得るものがあるのだ。私はそこまでとても到らない。失うことが怖いため、人から恨まれるのが怖いために、私はしなくていいことをしてきたような気がする。だけどそういうものを振り切るのが、大人になるっていうことなんだ。
もしかすると、セーラー服を着た私が初めてKさんを見たときに「私は絶対に仕事を持とう」と決心したのかもしれない。
この時代にも「Kさん」を愛する遺伝子が組み込まれた女性が何人も生きている。ある社会で評価を得て、地位や名誉、お金を身につけた、力あることが体の一部として溶け込んでいる。利己的で行動的なイマドキの女性だ。が、決して嫌な感じではない。自らの才能と努力で勝ち得ているからである。
終いにKさんの現在とあなたの未来とを重ねあわせていたのならば、あなたの中の“Kさん遺伝子”はかなり濃いに違いない。
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