朝陽と夕陽
桜は、朝と夕方、陽が斜めから当たった時が美しい。
病気になって横たわっていることが多くなった父も夕方によく「ほら、スポットライトの時間だよ。」と言って窓の外を見ていました。
いつも起きるのが遅いので朝斜めに当たる桜を見ることは少ないけれど、今日も早くに目が覚めて朝6時の桜の写真を撮りました。
同じように斜めに太陽の光が当たり、それが東からと西からの違いでしかない。つまり、左側と右側の違いでしかないようだけど、空気が違うということ、そしてそのせいか光り方が違うということを確認した。
朝はクール、夕方はしっとりというか。朝は澄んでいて、夕方は包み込むようなというか。そういう空気なのだと。当たり前と言えば当たり前だけど。
朝早く起きて、外の空気に触れると、なぜか私は、今日が特別な日の人がきっとどこかに必ずいると、よくそう思います。今日が大事な試験の人、今日結婚する人、今日子供が生まれる人、今日手術する人、今日コンサートの本番がある人。
4月4日は祖母の命日なんです。今日死ぬ人もまた必ずいるのでしょう。
「4、4、としとけば、思い出すわさ。」と言ってこの日を選んで祖母は死んだように思えて笑える。そういうたくましさが祖母にはあった。幼いころは家に泊まりに来て私とよく遊んでくれた。通販の食器のチラシをひと枠ずつ切り取ったものを並べて、お店屋さんごっこをした。「はい。夕方になりました。お店閉めてもう寝よに。」と言って、祖母は畳の上にごろんと横になった。私も付き合いで横になるけどすぐに「コケコッコー。朝ですよ。」と言った。「あんたとこのニワトリ、まちごとるに。」と言われた。夢中になる性格だったからこどもの私とも本気で遊んで、本気で喧嘩もした。手作りのお金だったけど、あるとき青葉堂でおもちゃのお金を買ってくれた。十二支の「ね、うし、とら、、、」を教えていったのも祖母で、小学校の教室で十二支の話が出た時全部言えたのは私だけだった。よくお話もしてくれた。何か中国の三兄弟の話とか、内容は残念ながらすっかり忘れてしまったけど。今思うとあんな語り話を私はできないなあ、昔は当たり前のようにおばあちゃんはお話をしていた。だから自分も大人になったらできるようになるのだと思っていた。
三重県の津の祖母の家は、トタン板で囲った戦後に立てた小さな家だった。夏や春のお休みにはそこに行って1週間は泊まっていた。朝早く、両親がまだ寝ているときにおばあちゃんと一緒に観音様の鳩にえさをやりに行った。えさはお米だった。お米をえさにするなんてすごく贅沢なのだと言っていた。そのときはそうなのかなあと思ったけど、今は確かにそうだと思う。
今日が特別な日だった人にも、そうでなかった人にも夕暮れがきて、桜はまた斜めの陽に染まる。そうやって繰り返されてる。
おばあちゃんは料理屋の娘でお料理は上手だったけど、餃子は苦手だった。だから、家に来ると母に餃子をねだっていた。「今日はおばあちゃんの命日だから餃子にしよか?」と朝話していたのに、すっかり忘れて夕飯は鯖だった。「おばあちゃんは青いサカナは下品だと言って好きじゃなかった。」と母が話して、2人とも今日が命日だったことを思い出した。