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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

F・CHOPIN、ショパン、マルセイユから詐欺師ヴォジンスキ家へ

2019.04.04 12:34

マルセイユからショパンのフォンタナへに宛てた手紙は手稿をどう出版社と取引するかという金額の交渉の指示は、ショパンがプレイエルへも既に金額を提示していた額と同じで、

マヨルカ島の独房からもフォンタナへ指示していた内容と同じ額であった。ショパンはマヨルカ島の郵便事情の悪さは悩みの種で手紙が来ないことも、どこかでどうなってしまったかわからないことや、自分が出した手紙もいつ相手に届いたかも不安でしかなかったのだ。

そのため、ショパンは念には念を入れて同じことを辛抱強くフォンタナに書いて出したのであった。

ショパンはたくさんの曲を一度に出版することを考え、金額をいつも頭に巡らせていたのだった。なぜなら、それは自分が儲けるための欲ではなく、ショパンには守るべきワルシャワの家族やパリにいる友人がいたからだった。ショパンは自分の儲けは自分の好き勝手な欲のために使うのではなく、世話になっている友人にも分け与えていた。だからショパンにはほとんどお金は残らないのである。ショパンは少年のころから家族思いであり、友人を大事にするために「自分の曲はただではないのだ」と強く思って来たことは大人になっても変わらなかった。

ショパンには、返さなくてはならない借金もあったため、それもいっきに返済したいことをショパンはいつでも計算していたのだった。

フォンタナに任せていたことはたくさんあったショパンだが、手稿の金額はすべて自分の采配で決めていた。パリにすぐ帰れないこともあり、フォンタナにも出版社と会って交渉するように頼んでいたのであった。

お金のことを一通りパリのフォンタナに頼んだショパンは、まだ気になっていることがあった。

それは、ショパンのパリのアパルトマンの部屋の机の引き出しの中のことだった。

フォンタナがマッシンスキかグシマーワは開けてもいいことになっていた。しかし、ショパンはマッシンスキとグシマーワにはその引き出しの中のものは見られては困るようになった。そのため「その引き出しの中の何かを読まないで燃やしてほしい。僕とフォンタナとの友情に誓って必ずそれを燃やしてください。」とフォンタナに指示したのだ。

理由は「今では役にたたない書だからです」ショパン。(推測だが幻想即興曲の手稿であったかもしれない。フォンタナは燃やさず、ショパンの死後、出版されたが、フォンタナが改ざんしたと言われている。)

それから、ショパンはヴォジンスキのマリアの兄のアント二イには、かなりの金額のお金を貸していた。ショパンはパリでは借金もあったが、稼ぎも相当なだったため、アント二イにたかられていた。アント二イはショパンがパリにいない間にパリを出てスイスでヴォジンスキ家族と合流することになっていた。

それをショパンは知って、フォンタナに「あのポーランド貴族のヴォジンスキ一家は詐欺師です!」と言い放った。そして、「ヴォジンスキ家が詐欺師だということはフォンタナの胸に閉まっておいてくれ。」と胸の内をフォンタナに明かしながらも我慢するショパンだった。

それから、ショパンはプレイエルが自分の提示した金額に応じるか返事が来ないため、

フォンタナにプレイエルに会って交渉してくるように指示した。

ショパンはマヨルカ島を出るとき、乗船する時にやっと家族からの手紙を3通受け取ったことがあった(現存せず)、それはフォンタンの手紙(現存せず)も一緒に受け取ったのだった。

ショパンは家族から手紙が来なかったのはやはりマヨルカ島の郵便事情が悪いだけで、フォンタナは自分が指示した通りにしてくれていたことへの感謝をした。ショパンは自分が友情を信じたことは正しかったのだとうれしかったのだ。

そして、ショパンは「僕はもう血を流したくないのだ。手当もしてもらい咳もほとんど今は出ない。マッシンスキには僕は肺病でないから心配するなと伝えてください。

僕は、マルセイユのホテルの部屋で暖かい服装に身を包み、ワルシャワの頃から好きだったラム酒入りコーヒーも今は健康のために飲んでいません。その代わりに僕は牛乳を飲んでいるのですよ。」と語った。

そして、「グシマーワに早くお金を渡して、家具のことを相談してください」と付け加えたショパンだった。

お金を返さないアント二イには、請求書を書いてフォンタナの手紙に同封したショパンだった。ポーランドの名門貴族で通っているヴォジンスキ家のアント二イがショパンに借りたお金を返さないことは、アント二イだけの問題ではなく「ヴォジンスキ家がいかに金に汚い

連中か!」とショパンは思っていたのだった。

ショパンがアント二イに貸した金額は不明だが、ショパンは親の代からヴォジンスキ家に金をたかられてきたのだった…よほどの金額だったのであろう。そして、ショパン自身が貸したお金は本当にショパンが血を流して稼いだお金なのであった。

ヴォジンスキ・アントニ(1812-1845)