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風とたね

自分を生きる

2019.04.05 08:00

昨日牡羊座新月を迎えました。

まだ新月のエネルギーが残っているうちに

どんな自分になりたいか

これまでの自分の延長線上ではなく

自由に楽しく、やんちゃにイメージしてみてください♪

小さな子どもに戻ったつもりで、少々野蛮なくらいに自由にやってみましょう!


やんちゃと言えば、私は、子どもの頃からサッカーをしているんですけど、サッカーが好きな理由を聞かれることが昔から多かったんです。

その頃は女子でサッカーをしている子が少なかったですから。

なので、「どうして私はサッカーが好きなんだろう?」ってよくじっくり考えていました。

たくさんあるんですよ。大好きである理由は。

で、大きな理由のひとつに、

「頭もからだも魂も、ぜ~んぶフル稼働できるから」っていうのがあって。

すっごく「生きてる」感じがするんですね。


これを、サッカー以外にもやりたいんです。

自分自身に。やってあげたい。

頭もからだも魂も、ぜんぶフル稼働で、生きたい。

自分の本領を発揮したい。

そう思いませんか?

自分のすべてを生かしたいって。

でも・・・

それって、どうすれば出来るんだろう?


少し私自身の過去を振り返りながら、探っていきたいと思います。

これを読んでいるあなたも、ご自分のことを振り返って考えてみられてください^^


小学生の時、男の子主体の少年サッカー部に入り、女子部員を募って、チームを創りました。

中学、高校は、自分たちで創った女子チームでプレー。

大学時代は、思い切って大学の男子サッカー部に入部し、男性と一緒にプレーを楽しみました。


社会人として、社会の中で力強く生きていこう!と意気込んでいた20代前半。

男性と一緒にサッカーをする、ということと、「社会の中で生きていく」ということが、どこかでリンクしているような気がしていました。

何故なら今の社会の枠組みを作ったのは、やはり男性だと言わざるを得ないからです。

男性が創り出したそのステージで、女性のからだをもって、体を張って生きていくということ。

サッカーというステージで言えば、男性と「力」や「スピード」で張り合おうと思っても、それは土台無理なこと。

私が男性と遜色なくプレーできたのは、それをいち早くあきらめて、「テクニック」「判断の速さ」「冷静さ」で勝負しようと決めていたからです。

要するに、社会というステージでも「今もっているもの」を磨いて勝負していこうと決意したということです。


だけど、実際に社会に出てみると、やはり「力み」が生まれ、肩に力が入り、今の自分に足りないものばかりに目がいったりと、どこか「負けないぞ」という意識がありました。

社会人になってから男性と一緒にサッカーしていて、左膝前十字靭帯断裂という大けがをして、手術、リハビリをしたり。

小学校の教員時代は、毎日のように胃の激痛で苦しんだり、数ヶ月に一度高熱で倒れたりしていました。

子どもたちのことも、男性女性問わず一緒にサッカーをすることも、大好きなのに・・・。

怪我をしたり、からだが壊れてしまったり、精神的にきつい想いをすることが多かった。

子どもが悪いのでもない、学校という職場が悪いのでもない。

男性が悪いわけでもない。

ただ、何かがチガウ。


そんな時出逢ったのが、冷えとり健康法と布ナプキンでした。

出逢った頃は、とにかくその気持ちよさ、心地よさに夢中になりました。

「自分を大切にする」ということをからだで感じた瞬間でした。

女性のからだをもって生きている自分を愛しく思い始めたスタートでもありました。

それまでの生理は鬱陶しいもの(サッカーや仕事においては最も邪魔な期間)でしかなかったし、コンスタントに仕事ができない自分がキライでした。

その「自分がキライ」という地点から、ちょっとずつちょっとずつ変化していったあの頃。


それから十年が経とうとしています。

「自分」というものを全身全霊で生きるということが、どういうことなのか、少しずつ分かってきました。

それは「力む」ことではなかった。

社会の中で認められようと努力し続けることでもなかった。

自分の大切なからだやこころを置いてけぼりにして、社会からも自分からも認められる、「わたしではない誰か」になろうとしていた自分にはっと気が付いたのです。


私の中のやんちゃな少女が、目をキラキラ輝かせながら言います。

「わたしたちは、自由だ。自由とは自分で決めていくことなんだ。」と。

私がサッカーを好きなもうひとつの理由。

それは、どんな状況でも「自分で決める」ことができるということです。


どんな状況でも、どんな環境でも、「自分で決める」ことはできる。

それを始めると、世界にたったひとりの自分が際立ち、輝き始めます。

どんな状況も環境も、条件も、あなたがあなたを生きない言い訳にはならない。

どんな場所からでも、わたしはわたしを生き始めることができます。

そのスタートは、わたしがわたしであることを認めるということです。

言葉に書くと簡単に聞こえますね。

だけど、一瞬一瞬自分を認めていく、どんな自分も受け入れていく、自分で決めていくことって、とても地道で地味な作業。

自分というものを決して投げ出さないこと。

決して離さないこと。

もし努力するとしたら、そこだけなのかもしれません。


そういう生き方に目覚めても、毎日のくらしの中で、自分からズレていってしまい、本領発揮どころかエネルギー不足になってしまうこともあります。

そんな時、どういったこと(智慧や意識の持っていき方)が実際に役立つか、これからも、このブログにいろいろと書いていきたいなぁと思います。

常に実践者でありたい。

そして、それがあなたのお役に立つならこんなに嬉しいことはありません。


それでは、朗らかな春の一日を!


Love,

Shoko