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Kazu Bike Journey

Ride in Setouchi & San-in Day 21 (5/4/19) Saigoku Kaido Hatsukaichi 西国街道 廿日市

2019.04.05 13:03

安芸草津

旧山陽道松並木/街道松

光禅寺誓いの松

桜尾城

廿日市本陣

廿日市天満宮 (篠尾城)

住吉堤防敷

Saigoku Kaido Hatsukaichi 西国街道 廿日市

朝起きて、まだ脚が張っている感じがする。今日は宮島に行こうと思っていたが、山も登りたいので、もう1日脚を休める事にする。宮島近くの廿日市の宿迄は25キロ程で、ちょうど西国街道が通っている。広島宿から次の廿日市宿まで街道沿いを走る事にした。距離が短いので、遅めのスタートで、ゆっくり走る。

安芸草津

広島市の中心部は原爆で破壊されたので街道の名残らしきものは見当たらない。10キロ程走り、安芸草津のあたりからちらほら街道の趣が感じられるようになった。爆心地から2-3km地点まで焼失した。この安芸草津は爆心から4km地点。

街道沿いには寺院が多く見られる。広島ではこういった歴史的建造物に被爆プレートで被爆度合いを示している。

一里塚跡があった。地元のお父さんが小学生の子供に、西国街道と一里塚について教えていた。(お父さんと少し話して、この近くに住んでいるとの事だった。) 微笑ましい光景だ。自分の娘達にこんな事をしてやらなかった事を反省。

餓鬼の首地蔵というものがあった。地域で写真のような解説版を立てている。有り難い。当時の風景画があった。建物が多くたってはいるし、海は埋め立てられたが、今も当時の感じは保っている様だ。以前に東海道や中山道を浮世絵の描かれた場所を探しながら走った事を思い出した。同じような風景が見つかると何故か嬉しくなる。

旧山陽道松並木/街道松

以前は街道沿には松が植えられていた。これは東海道などと同じだ。西国街道も例にもれないのだが、今は殆ど残っていない。これは残念。松並木のある道路は風情があって好きなのだが....

光禅寺誓いの松

立派な松が目についた。光禅寺の僧侶が仇討ちの手助けをしたのだが、仇討ちの時に黒松を植えたとの言い伝え。松の所に原爆被害者の慰霊碑がある。ここは五日市で爆心地から7kmの所で広島中心へは通勤圏。ここに住んでいた多くの人が被災している。

ここだけでなく近くのお寺にも原爆被害者慰霊碑がある。多くの人が家族を亡くしたのだろう。痛ましい。

桜尾城

厳島神社神主家藤原氏の居城。天文10年(1541)に大内氏に攻められ城は炎上、藤原(友田)興藤は白刃、320年間続いた藤原家は滅亡。

廿日市本陣

廿日市に入る。ここは宿場町があった。本陣跡があった。石碑だけで、跡地は市民センターになっている。

廿日市天満宮 (篠尾城)

本陣跡の直ぐ前に天満宮がある。断崖の上に本殿がある。元々は桜尾城の支城の篠尾城があった場所。1524年(大永4年)、桜尾城の友田興藤を攻めるために大内方の吉見三河守頼興、杉氏、内藤氏が陣取った。

住吉堤防敷

近くに桜の名所があると、観光案内書に載っていたので行ってみた。堤の両側に桜並木。今週末は廿日市桜祭りがあるので準備をしている。気の早い人たちは、シートを敷いてお花見をしている。この地方は今週末が桜が満開となり各地で花見が催される。

宿に近くなって来た。海岸の向こうに宮島が臨める。明日はフェリーでこの宮島に渡る。

写真の右の島が宮島、左側が江田島であそこから数日前にフェリーで広島に渡った。