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ドビュッシー 交響詩「海」

2019.04.06 14:55

春のうららかな陽気を感じる等、ちょっと幸せな気分になった時に聴きたくなる曲が、ドビュッシー(1862-1918)の交響詩「海」。

昨年(2018年)没後100年を迎えたドビュッシーですが、この曲の楽譜の表紙にこんな形で葛飾北斎の絵を使用したセンスの良さには感心するばかり。

この曲をWikipdiaで検索してみると「『海の情景を描写した標題音楽』として説明されることが多く、作曲技法上の新しさがあまり理解されていない」とのこと。。。でも、私を含めた一般聴衆の大半は、どの曲にせよ、その技法についてほとんど理解せずに聴いている訳で、別にそれはそれでいいんじゃないの?と思ってしまいました。苦笑

しかも、それぞれ第1楽章「海上の夜明けから真昼まで」、第2楽章「波の戯れ」、第3楽章「風と海との対話」といった標題をつけた以上、作曲家としてもそれらを描いた訳で、そのために新しい技法を使ったかどうかは効果上の問題と音楽史上の位置づけの問題。


ということで、ここでは無視して進めます。。。と書き出したのですが、気になってよくよく読んでいると、このWikipdiaの解説が何とも面白い!

海の基本的な動きは、どこでどういう力が働いているかはわからないものの、水の塊が押して引いてぶつかって盛り上がって、塊同士の動きが影響し合って、新たな動きを起こし、どんどん際限なく広がっていく、といった感じですが、ドビュッシーの研究者、松橋麻里さんが表現した文章はまさに秀逸。

「気づかれないようなふとした音の動きがより大きな動きを誘い出し、それが次々に広がっていく。つまり音が自らの内部から進む力を繰り出していく (注1) 」

その技法の紹介が、まさに海そのものを表現しているみたいです。

またそこに、太陽が昇って照らされ、風に吹かれて荒れ狂い、落ち着きを取り戻したかと思えばまた動き出す等、目まぐるしく表情を変化させるのも海ですが、この曲はその標題を意識して聴いている(意識しなくても?)とそんな景色が想像出来てしまいます。

しかも、それがその技法の中で見事に描かれていることを考えれば、ドビュッシーが用いたこの新しい技法は海を描くために、やはり必要なものだったのかもしれません。

この曲の名盤と呼ばれるものは、ブーレーズ&クリーヴランド管弦楽団、マルティノン&フランス国立放送管弦楽団、ミュンシュ&パリ管弦楽団等々、数多く存在しますが、やはりチェリビダッケ・ファンにとっては、多少のキズはあれどその独特な緩やかな時間の流れと鮮やかで劇的なオーケストラの響きに浸れ、更には、ティー!という指揮者の気合まで録音されたこの紫色の海賊盤(注3)が外せないと思います。笑

またYoutubeで、私のお気に入りの一枚、アバドがルツェルン音楽祭の初年度に演奏した気合たっぷりの動画がアップされておりましたので、併せて紹介しておきます。

尚、今年に入ってから、最晩年(53歳頃)に書かれたチェロ・ソナタ(1915)の素晴らしい演奏を聴く機会(注2)に恵まれたのですが、これは非常に簡潔、かつ、厳しい精神的な曲。

今回、海(1905、43歳頃の作曲)を集中的に聴き直してみて思ったのですが、たった10年の間に起きたドビュッシーの作風の変化はとても興味深いものがあります。

ということで、これを機会にそちらも聴き進めてみようと思った次第です。


(注1) Wikipdiaからの引用:松橋麻里、松橋麻利『作曲家◎人と作品-ドビュッシー』、音楽之友社、2007年5月10日、ISBN 978-4-276-22189-5、200頁より引用

(注2)ドビュッシーのチェロ・ソナタを聴いた演奏会:長谷川彰子(Vc)&入江一雄(p)リサイタル(第33回直方谷尾美術館室内楽定期演奏会)

(注3)チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のこの紫色の海賊盤は、「海」の前に入っている「トリスタンとイゾルデ」がワーグナーの描いた官能の世界を鳥肌が立つぐらい情感豊かに表現した名演なので、ファンにとっては堪らない一枚なのです。

2019.4.6 23:55


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